蜂須賀正宗
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蜂須賀正宗(はちすかまさむね)
- 表に独鈷付剣、裏に梵字護摩箸を彫る。
- 目釘孔2個
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由来
- 蜂須賀正宗の異名があるが、由来は不明
来歴
蜂須賀家
- 戸田氏鉄が拝領した時点ですでに「蜂須賀」の号がついており、恐らく蜂須賀家由来のものが将軍家に献上されたものと思われる。
戸田氏鉄
- 寛永14年(1637年)島原の乱の戦功により、戸田氏鉄が将軍より拝領したもの。
- この時、万座の中で「短刀か3万石、いずれか望みの褒美をやろう」といわれ、さすがに3万石は言い出しかね、この短刀を所望したという。
五月四日氏鐵公には大垣発駕、十一日江戸に着し、十三日登城して征討の始末を復命あり。(将軍病中にて謁見の儀無し)超えて十月二十七日将軍家光、氏鐵公を召出して、大に軍功を賞せられ、佩ぶる所の正宗の短刀(蜂須賀正宗と稱す長八寸三分)を手自ら賜ふ。又二子淡路守氏經、六子三郎四郎氏照にも謁を賜ふ。
- のち大垣藩主戸田家に伝来した。
- 関東大震災の折には同家にあった刀が三百ほど焼けてしまったが、この正宗を含む七十ほどが残った。
- 一日見ても飽きないほどの出来であることから、日光東照宮の日暮の門(陽明門の別名)になぞらえ「日暮しの短刀」と呼ばれたという。
- 昭和16年(1941年)も戸田伯爵所持。
とちぎの文化財【短刀 無銘(伝 正宗)】※寄贈されたためページ消失
- 2018年、旧美濃大垣藩主家の戸田家より、公益財団法人日本美術刀剣保存協会へと寄贈された。
- 現在は刀剣博物館で展示されている。
寄贈及び展示について、情報のご提供を頂きました。ありがとうございました。
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