稲光
※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。
Table of Contents |
|
稲光(いなびかり)
- 鎬造、丸棟で鍛は板目。
- 表裏に棒樋を掻き、反り高く踏ばりのある太刀姿で、佩表寄りに「備州長船住□真」と長銘が入る。
- 社伝では備前長船国真という。「厳島図絵」でも「備州長船國真」となっている。
由来
- 刃紋が稲光形にあらわれているところからの号という。
来歴
- 毛利元就の兄である毛利興元の寄進と伝えられる。※元就の父・毛利弘元寄進とも、弘元所持刀を興元が寄進ともいう。
毛利㒷元朝臣寄附稲光長太刀
毛利弘元─┬─毛利興元 └─毛利元就
- 「稲光長太刀」「稲光の太刀」などと呼ばれ、「棚守房顕覚書」など厳島神社の文書に登場する。
棚守房顕記曰、毛利殿當社御信心ノ事前ニ㒷元ヨリ稲光太刀奉納ナリ、㒷元御参詣ハ四月十八日ノコトナリ神物ナドハ書記に不及、御宿児玉七郎左衛門所ナリ於國衆モトリワケ當社ヲ御信心ナリ
稲光(志都岐山神社所蔵)
- 縞造、庵棟、中反高い。なかご生ぶ、先を入山形にし、目釘孔1個。
- 佩表に「光房弘安三年十月日」の銘が入る。弘安3年は1280年。
来歴
- もとは毛利家の重臣桂家に伝えられたもので、「稲光」と称して秘蔵されていた。
- 元就の嫡男毛利隆元の時代、桂元澄はこの「稲光」を安芸国吉田の宮崎八幡宮に奉納した。
桂元澄は、大永3年(1523年)に元就が家督相続した際に起請文に署名した15人の宿老のひとり。
- さらにのち寛文年間(1661~1672年)には、桂元澄の後裔となる桂就澄が箱を造って奉納している。この箱書には、桂家が代々満願寺(萩城二の丸北にあった寺)に預け置いたとあり、大正8年(1919年)に
志都岐山 神社(萩城跡、指月公園内にある神社)に寄進されたという。桂広澄─桂元澄─桂元延─桂元重─桂元相─桂元時─桂元澄┐ │ ┌──────────────────────────┘ │ └桂元綱─桂就政─桂就澄─桂広尚─桂広保─桂元冬─桂親保─桂房政─桂員寿 (長門国萩桂家文書)
- この伝来が確かであれば、元々は桂家で相伝していたが、永禄ごろに安芸吉田の宮崎八幡宮に奉納。
- 関ヶ原ののち萩城に移った際に満願寺(萩城二の丸)に納め直したものか、代々預けたことになっている。その後寛文年間に桂就澄が箱を奉納する。
- 明治維新後の廃城令を受け、萩城は明治7年(1874年)に破却される。その後明治12年(1879年)に志都岐山神社が創建され、萩城跡一帯は
指月 公園として整備される。本刀は明治維新のころに桂家が一度取り出したのか、のち大正8年(1919年)に志都岐山神社に寄進された。
Amazonプライム会員無料体験