稲光


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 稲光(いなびかり)

太刀
銘 備州長船住□真
号 稲光
刃長三尺五寸五分(105.4cm)、反り5.4cm
重要文化財
厳島神社所蔵

  • 鎬造、丸棟で鍛は板目。
  • 表裏に棒樋を掻き、反り高く踏ばりのある太刀姿で、佩表寄りに「備州長船住□真」と長銘が入る。
    • 社伝では備前長船国真という。「厳島図絵」でも「備州長船國真」となっている。

 由来

  • 刃紋が稲光形にあらわれているところからの号という。

 来歴

  • 毛利元就の兄である毛利興元の寄進と伝えられる。※元就の父・毛利弘元寄進とも、弘元所持刀を興元が寄進ともいう。

    毛利㒷元朝臣寄附稲光長太刀

    毛利弘元─┬─毛利興元
         └─毛利元就
    
  • 「稲光長太刀」「稲光の太刀」などと呼ばれ、「棚守房顕覚書」など厳島神社の文書に登場する。

    棚守房顕記曰、毛利殿當社御信心ノ事前ニ㒷元ヨリ稲光太刀奉納ナリ、㒷元御参詣ハ四月十八日ノコトナリ神物ナドハ書記に不及、御宿児玉七郎左衛門所ナリ於國衆モトリワケ當社ヲ御信心ナリ

  • 大内家五名剣の「荒波」、「乱髪」などと並んで記載されており、重要視された太刀であると見られる。




 稲光(志都岐山神社所蔵)

太刀
銘 光房/弘安三年十月日
長76.4cm、反り3.4cm
重要文化財
志都岐山神社所蔵(萩博物館寄託)

  • 相模国鎌倉の刀工光房の作。光房は行光の弟子と伝えられる。
  • 縞造、庵棟、中反高い。なかご生ぶ、先を入山形にし、目釘孔1個。
  • 佩表に「光房弘安三年十月日」の銘が入る。弘安3年は1280年。

 来歴

  • もとは毛利家の重臣桂家に伝えられたもので、「稲光」と称して秘蔵されていた。
    厳島神社所蔵の太刀に毛利興元寄進という「稲光長太刀」がある。刀工も刃長もまったく異なるが、同じ毛利家中のものでもありもしかすると逸話が混同した可能性も考えられる。
  • 元就の嫡男毛利隆元の時代、桂元澄はこの「稲光」を安芸国吉田の宮崎八幡宮に奉納した。
    桂元澄は、大永3年(1523年)に元就が家督相続した際に起請文に署名した15人の宿老のひとり。
  • さらにのち寛文年間(1661~1672年)には、桂元澄の後裔となる桂就澄が箱を造って奉納している。この箱書には、桂家が代々満願寺(萩城二の丸北にあった寺)に預け置いたとあり、大正8年(1919年)に志都岐山(しづきやま)神社(萩城跡、指月公園内にある神社)に寄進されたという。
     桂広澄─桂元澄─桂元延─桂元重─桂元相─桂元時─桂元澄┐
                                │
     ┌──────────────────────────┘
     │
     └桂元綱─桂就政─桂就澄─桂広尚─桂広保─桂元冬─桂親保─桂房政─桂員寿
    (長門国萩桂家文書)
    


  • この伝来が確かであれば、元々は桂家で相伝していたが、永禄ごろに安芸吉田の宮崎八幡宮に奉納。
  • 関ヶ原ののち萩城に移った際に満願寺(萩城二の丸)に納め直したものか、代々預けたことになっている。その後寛文年間に桂就澄が箱を奉納する。
  • 明治維新後の廃城令を受け、萩城は明治7年(1874年)に破却される。その後明治12年(1879年)に志都岐山神社が創建され、萩城跡一帯は指月(しづき)公園として整備される。本刀は明治維新のころに桂家が一度取り出したのか、のち大正8年(1919年)に志都岐山神社に寄進された。
  • 大正15年(1926年)4月19日に旧国宝指定。
  • 昭和25年(1950年)8月29日の文化財保護法施行により、重要文化財となる。
  • 志都岐山神社所蔵。

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