甲割り
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- 冑を割ったという同名刀は複数ある。
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甲割り兼光(かぶとわり)
兜割
冑割(かぶとわり)
- 備前長船兼光の作。
- 兼光が、足利尊氏からの注文を受け、打った刀。
- 試し切りで、鎧二領と兜とを両断した事からの命名という。
- 兼光には褒美として、一丁(約109m)四方の屋敷と六万貫の地を与えたという。この屋敷は、長船の鍛冶頭が代々継承したという。
小笠原家「甲破り」(千代鶴)
太刀
銘 千代鶴(甲破り)
- 信濃守護小笠原長時が天文19年(1550年)3月に武田信玄の軍勢を迎え撃った時、「千代鶴」と在銘の重代の太刀で甲の鉢を割ること数知らずというので、千代鶴を「甲破り」と名づけ、以後同家のゆずり道具の一つとなった。
- 寛保2年(1742年)5月、将軍吉宗の台覧に供している。
坂崎出羽守「冑割り兼定」
脇差
冑割り
切付銘 主安藤伝十 此作和泉守 埋忠上之
磨上 一尺七寸四分五厘
男谷精一郎(大慶直胤)
- 男谷精一郎信友は、大慶直胤の刀で試し其の結果を切付銘で以下のように刻んだ。
文政十一年臘月十七日於男谷信友館信友多羅尾光義六度甲試所難折難曲甲伏ス
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