桝屋江


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 桝屋江(ますやごう)


名物 桝屋江
2尺1寸1分

  • 「増屋江」とも
  • 郷義弘の作
  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    桝屋江 磨上長二尺一寸一分 代金二百枚 御物
    京都小川通り升屋了二と申者所持、大坂落城の時「むくろ」の下に在り、秀忠公へ上る

Table of Contents

 由来

  • 京都小川通に住む升屋了二というものが所持していたためという。
    ※升屋平右衛門(山片家)のことか。

 来歴

 升屋了二

  • はじめ京都小川通に住む升屋了二所持。

 宇喜多秀家→秀吉

  • その後宇喜多秀家を通じて秀吉に献上される。
  • 埋忠明寿・寿斎が磨上を行い、金具も寿斎が作っている。

    がう 二尺一寸一分 備前中(備前中納言秀家)より上申候
    すり上明寿寿斎兩人承候
    (光徳刀絵図寿斎本)

    磨上た長さに異説があり、二尺一寸一分、または二尺一寸一分五厘。

 将軍家

  • 大坂落城の際にむくろ(死体)の下より見つけ出されたという。

 水戸家

  • 駿府御分物帳」の中之御腰物に「大坂物之内」と記載。水戸家への分与。

    桝屋かう 水戸 名物 桝屋江 大坂物之内

  • 初め百五十枚の極めだったが、二百枚に上る。
  • いつごろか将軍家に戻っている。

 前田利常

  • 寛永ごろ、前田利常に与えている。

    松平筑前守殿 増屋江 桝屋江共
    大坂ノ江、寿斎かなぐ仕候、長サ貳尺三寸
    本十郎兵衛殿より、金百五拾枚代付、其昔寿斎老磨上、象嵌江戸にて明甫
    埋忠銘鑑)

  • 寛永10年(1633年)ごろ、本阿弥の一族松田忠右衛門に研ぎに出している。

 前田光高

  • 前田利常の嗣子、前田光高本阿弥光由に象嵌を入れさせている。光由が本家の本阿弥光温のもとへ持って行き、差表に「江」、裏に「本阿(花押)」と金象嵌を入れてもらっている。象嵌は埋忠明甫。

    象嵌江戸にて明甫

 将軍家

  • 寛永18年(1641年)8月、将軍家世継竹千代(徳川家綱)の七夜祝いで前田家から献上されている。

    松平筑前守光高(前田光高)、大()義弘増屋郷、小(脇差来国次

 焼失


 異説

  • ただしこの焼けたのは真の桝屋江ではないとされる。
  • 光徳刀絵図や享保名物帳では刃長二尺一寸一分、享保名物帳享保本では二尺一寸一分五厘、松田忠右衛門押形では二尺一寸となっているが、これより後の埋忠銘鑑では、二尺三寸と長くなってしまっている。
  • これは大坂落城の際にはまだ金象嵌はなく、死体の下から取り出した刀がたまたま桝屋江に似ていたために混同してしまったものだとされる。

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