岡本正宗
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岡本正宗(おかもとまさむね)
短刀
名物 岡本正宗
八寸六分
個人蔵
- 享保名物帳所載
岡本正宗 無銘長八寸六分 代金五百枚 松平筑前守殿
泉州堺の町人岡本道意所持、利常卿御求め家康公へ上る、秀忠卿より黒田長政拝領- 一部九寸六分とするものがある。
由来
- 堺の町人、岡本道意所持にちなむ。
- 「道意正宗」にも名を残す
来歴
- 堺の町人岡本道意が所持していたものを、前田利常が買い求め、家康に献上。
- 享保名物帳では秀忠から黒田長政が拝領したというが、「徳川実紀」や、「黒田家譜」「御当家御重宝故実」では、黒田忠之(筑前福岡第2代藩主、長政の子。母は家康養女の大涼院栄姫。幼名万徳丸、初名忠政)が慶長17年(1612年)12月18日の御前での元服時に拝領したとする。
大御所駿城へかへらせ給ふ、諸大名拜謁す、黑田筑前守長政子萬德十一歲にて初見す。(略)黑田筑前守長政銀二百枚、時服十、萬德綿二百把、銀三千兩(略)十八日駿城にて諸大名に御茶をたまふ、日野亞相唯心入道、山名禪高入道もこれにあづかる。はてゝ黑田筑前守長政幷に其子萬德めし出され拜謁し、銀五十枚獻じ御盃下され、萬德に長光の御刀、正宗の御脇差幷鷹馬眞壺等をたまはり、右衛門佐となのるべしと仰下さる
(徳川実紀)十八日御前にをいて元服し、右衛門佐と稱す。ときに備前長光の御刀岡本正宗の御脇指かつ眞壺を賜ひ、馬及び鷹を下さる。
(寛政重脩諸家譜 忠之項)慶長十七年十二月十五日駿府にをいてはじめて東照宮にまみえたてまつる、時に十一歳、十八日御前にをいて元服し、右衛門佐と称す、ときに備前長光の御刀、岡本正宗の御脇差、かつ眞壷を賜ひ、馬及び鷹を下さる
(黒田家譜)
- つまり、長政の子である黒田忠之が、慶長17年(1612年)12月18日に家康に拝謁し、長光の太刀、眞壺などとともに拝領したことになる。
- 翌年に埋忠寿斎に金具製作を命じ、12月21日に完成している。この時に押形を取ったものが埋忠銘鑑にのっている。
- 忠之は子に対して次のように諭したという。
松平筑前守忠之常に子息に對し申けるは、他人より所望にあひなばたとへ岡本正宗日光一文字木の丸博多文琳にてもいさゝかおしまず是を贈るべし又他人の道具はかろきものをも所望すべからず、しいてほしくはなるべきかぎりは千金にも求めよ、求めかたき程ならはいさぎよく其望を止むべしと教訓ありしとぞ
- 現存し、個人蔵
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