小池志津
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小池志津(こいけしづ)
脇差
志津兼氏作
刃長一尺九寸二分五厘
- 表裏棒樋、金百五十枚の折紙。
- 水戸徳川家の蔵刀。
来歴
- 水戸藩士の小池治太右衛門政春が、あるとき江戸日暮里に行く途中で数人の賊に囲まれた。
- 小池政春はこの志津を抜いて賊三人を斬り、一人に負傷させた。刀の切れ味が素晴らしかったので、父の政永に譲った。
- 政永も試してみたところ業物に間違いなかったという。
- その子孫にあたる小池水之介政修は、文化12年(1815年)にこれを7代藩主徳川治紀に献上し、藩主治紀はこれに対して青江の刀と白銀若干を与えている。
- 治紀は翌文化13年(1816年)閏8月19日に江戸藩邸にて急死した。跡を継いだのが長男徳川斉脩で、この斉脩が編纂したのが「武庫刀纂」である。
志津 磨上無銘 代金百五十枚 長サ一尺九寸二分半
右小池水之介所蔵也 水之介祖治太右衛門有僕■後居于武蔵之川越有事故故往于東都 日暮路遭賊數人乃抜此刀 闘斬三人 一人傷面迯去 後以此刀贈父水之介 今之水之介献之官
- 大正の頃、「小池志津」は水戸の富岡三造少将が所持していた。
富岡三造は、1894年~1901年11月まで歩兵第22連隊の連隊長を務め、日清戦争に出兵している。
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