姫切


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 姫切り / 姫斬り

  1. 姫切:八幡太郎義家の時に宇治の橋姫の左腕を切り落とした刀
  2. 吉川家の姫切:周防岩国藩の吉川家に伝わった刀
Table of Contents

 姫切

  • 曽我兄弟が箱根権現より取出した「友斬り」の別名。
  • ぶあく大夫(武悪大夫)が鍛えたという太刀は、その後源頼光の時に「朝霧(ちょうか)」、河内守頼信の時に「虫喰み(むしばみ)」、源頼義の時に「毒蛇」、そして八幡太郎義家のときには「姫切」と名付けられたという。
  • これは、宇治の橋姫という妖怪をこの刀がひとりでに鞘走って橋姫の左腕を切り落としたためであるという。
  • のちこの刀は、六条判官為義の時に「友切」と名づけられ、左馬頭義朝へと伝わり、九郎判官義経が盗み出して所持したという。

 吉川家の姫斬り

  • ある夜中、吉川元春が父・毛利元就の館に出かけた際に、元春の娘があとから着いてきた。そんなことはありえないため、不審に思った元春がこれを抜き打ちにすると、女は足早に逃げ去った。その血痕を追っていくと岩穴の中へと消えていた。家来に穴を掘らせてみると、果して女が死んでいたため「姫斬り」と名付けたという。
  • 岩国藩3代藩主吉川広嘉に伝わっていたが、広嘉が死んだ際に形見として毛利本家の元千代丸(毛利吉就)に贈られたという。

    毛利元就殿へ陰夜におよび吉川元春まいられしに。跡より元春の娘來られしかば。(やが)て抜討に切れければ。足ばやく逃ざりし。其血をしたひて見けるに(はるか)の途をこえて岩穴の中に入り。地を掘崩して見るに女死してありし。夫より脇指を姫切と名づけ所持ありしを。吉川監物遺物とて毛利元千代殿へ贈られしとなり。

    吉川広嘉(きっかわひろよし)
    吉川元春の子・吉川元長の孫。延宝7年(1679年)8月16日没。

    毛利吉就(もうりよしなり)
    長州藩3代藩主。毛利輝元の長男・毛利秀就の四男。寛文8年(1668年)1月21日生まれ。母の喜佐姫は結城秀康の次女。天和2年(1682年)2月に父・毛利綱広の隠居により跡を継いだ。正室は松平忠昌の娘・千姫を迎えた。


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