九字兼定


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 九字兼定(くじかねさだ)


銘 和泉守藤原兼定
裏銘 臨兵闘者皆陣烈在前

  • 美濃国関の兼定(二代)作
    • 二代和泉守兼定は、「定」の字が、「㝎」(ウ冠の下に「之」)と切られていることから、之定(ノサダ)と呼ばれる。「関の孫六」と称される兼元とともに美濃関鍛冶を代表する存在で、「最上大業物」に分類される。

 由来

  • 裏銘は「臨兵闘者皆陣烈在前」の九字が切られており、ここから九字兼定の名がついた。
  • 「兵ノ闘ニ臨ム者ハ皆陣烈ノ前ニ在レ」と読む。
    読み方については諸説あり。

 来歴

  • 九字兼定は永正10年(1513年)前後の作とされる。
  • 近代まで現存していたが個人所蔵のためか現在行方がわかっていない。






 九字の起源

  • 道教を源とする九字は「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前」であり、「九字兼定」の九字は同音の異字を当てる仮借となる。

    臨兵闘者皆陳列在前
    臨兵闘者皆陣烈在前(九字兼定)

  • この九字は、西晋・東晋時代の道教研究家・葛洪(号 抱朴子)が著した「抱朴子」内篇の巻17「登渉篇」に登場する。「抱朴子」は神仙思想と煉丹術の理論書であり、後世の道教に強い影響を及ぼした。

    抱樸子曰:“入名山,以甲子開除日,以五色繒各五寸,懸大石上,所求必得。又曰,入山宜知六甲秘祝。祝曰,臨兵鬥者,皆陣列前行。凡九字,常當密祝之,無所不辟。要道不煩,此之謂也。”

    葛洪の祖父のいとこの葛玄は、呉の有名な道士で左慈の弟子であった。葛洪は葛玄の弟子の鄭隠に学び、後には鮑玄(鮑靚)に師事している。葛洪は20歳を超えた頃に「抱朴子」を書き始めたという。内篇20巻では仙人になるための修行方法を記している。
     日本にも早くより伝わっており、万葉集において山上憶良が引用している他、寛平3年(891年)ごろ成立の「日本国見在書目録」にも所載される。

 他の九字銘

  • この之定作以外にも九字銘を入れた作刀がある。
「陳烈」
長船勝光や春光、鬼塚吉国
「陳列」
遠州三秀
「陣烈」
和泉守兼定、三河守陳直
「陣列」
左行秀や尾崎正隆
「陣烈勝」
手貝包貞
「前一」
伊達家伝来「長吉」
”一”は九字を切れば一切無得、一切成就の意味。”前”は九字を表す
縦線5本、横線5本
長船彦左衛門尉祐定
九字には、正式な「切紙九字護身法」と簡易的な「早九字護身法(四縦五横符ともいう)」がある。後者は、空間上に格子状の結界をはることで邪悪なものの侵入を防ぐ効果があるとされ、武士や忍者が利用したとされる。縦横の線で九字を代用しているのは、この「早九字護身法」を模している。
縦線横線3本ずつ
千子村正と島田助宗の合作刀

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