三木権太夫
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三木権太夫
江戸初期の京都の豪商、両替商
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概要
- 北野肩衝
- 元は三好宗三や津田宗及らが所持した名物茶器で、公家の烏丸大納言家に移った。天正15年(1587年)の北野大茶湯に出したところ秀吉の目に止まり、「北野肩衝」と呼ばれるようになった。烏丸資慶の時に金一万両にて三木権太夫に売ったという。のち三井八郎右衛門家に移り代々相伝し、酒井忠義、再び三井高棟から三井文庫へ移り、現在は三井記念美術館所蔵
系譜
栗山大膳利章次女 │ 三木孫右衛門清閑──三木吉十郎了清──三木権太夫 │ ┌香山妙春 黒田職隆─┴黒田官兵衛孝高 ※母子関係が不明なため父子の関係のみに留めている。
祖父:三木孫右衛門清閑
- 三木権太夫の祖父は三木孫右衛門重棟といい、清閑と号したという。
- この清閑が黒田官兵衛孝高の妹である香山妙春を娶っており、官兵衛と義兄弟の間柄である。
- 清閑は、元は惣兵衛と名乗ったといい、のち京都で商人となり茶人でもあったという。
三木孫右衛門重棟が別所重棟同人であり、その甥が三木城主で自害した別所長治であるとする説があるが、関係はよくわからない。しかし黒田職隆の娘や栗山利章の娘を娶っていること、筑前福岡藩の大坂での蔵元になっていることを考えると、一定の力を持った一族であったのではないかと思われる。
父:三木吉十郎了清
- 三木清閑の子が三木吉十郎了清。
- 吉十郎了清は、栗山善助利安の子である栗山大膳利章の次女を娶っている。のち栗山大善が事件を起こしたため、三木氏は国許を追われ京都に移ったという。
- 三木了清の子が三木権太夫であるという。
関連項目
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