青葉

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青葉(あおば)  

竜笛
青葉の笛

  • 竜笛は雅楽器のひとつで竹管の横笛。
  • 雅楽器としては2オクターブという広い音域(E5~D7)をもち、低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と例えられ、それが名前の由来となっている。
  • 現在、何本かが名笛「青葉」として伝わっている。
  • 青葉は竜笛のひとつで、「大水龍(おおすいろう)」「小水龍(こすいろう)」「頭焼(かしらやけ)」「雲太丸(くもだいまろ)」「柯亭(かてい)」「讃岐」「中管(ちゅうかん)」「釘打(くぎうち)」などと並ぶ名笛とされる。

    笛には皇帝。 圖亂旋。 師子。 荒序。 是を四の秘曲といふ。 それにおとらず秘するは万秋樂の五六帖なり。 笛の寶物には青葉。 葉二。 大水龍。 小水龍。 頭燒。 雲太大丸。此等なり。

由来  

  • なお、青葉とは、薩摩台明寺境内に自生する”青葉の笛竹”(寒山竹とも大名竹とも)を材料に作られた笛を一般に「青葉の笛」と称しているからという。
  • 天智帝九州幸の折、青葉を付けたまま笛を献上したところ大変音色がよかったため、その後ここの竹を青葉をつけたまま貢納したことによると言う。
  • 現日枝神社(台明寺)の「青葉竹由来」によれば、「先ず国分府中村の鏡の池に浸し置きて、清水村姫木村妙見社に奉納」した上で、京に運んだと言う。

    境内に自生の其の竹を伐取、先ず国分府中村の鏡の池に浸し置きて、清水村姫木村妙見社に奉納し、是を京都へ貢せしとぞ。税所介曽於郡主の時は此笛竹を宰領して上京すといへり。

台明寺(だいみょうじ)  

  • 台明寺は、かつて鹿児島県国分市台明寺に存在した天台宗の古刹。
  • 寺伝によれば、天智天皇の勅願で創建されたといい、青葉竹貢御所として境内に生育する竹を蔵人所に貢納するようになったと伝えられる。
  • 平安時代には朝廷の鎮護国家の道場、鎌倉時代には関東御祈祷所となり、その間、売買・寄進などによって寺領を拡大し、のちに島津氏の支配下にあって繁栄したが、明治初年の廃仏毀釈により廃寺となった。現日枝神社。
  • 「台明寺文書(百七十八通)」が国宝として残る。


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著名な「青葉」  

源博雅「葉二つ」  

葉二つ(鬼の笛)
竜笛
平等院所蔵

  • 源博雅(みなもとのひろまさ)が朱雀門の鬼と交換で入手した笛。
  • 後に浄蔵という笛の名人に吹かせたことで鬼の笛であったことが判明する。笛には葉が二つついており、一つは赤一つは青かったために、「葉二(はふたつ)」、「鬼丸」とも呼ばれる。後に一条帝、花山院御匣殿、御堂入道藤原道長、宇治殿藤原頼道と受け継がれ、宇治平等院経蔵に納められたという。

    葉二となづけて。 天下第一の笛なり。 其後つたはりて。 御堂入道殿の御物に成にけるを。 うぢ殿平等院をつくらせ給ひけるに。 御經藏に納られにけり。 此笛に葉二あり。一 はあかく。一 はあをし。 朝毎につゆをくといひ傳たれば。 京極殿御覽じける時は。 赤葉おちて露をかざりけりと。

  • 源博雅は、醍醐天皇の孫、兵部卿・克明親王の長男にあたる、安倍晴明と同時代の人物。官位は従三位・皇后宮権大夫。管弦の名手で知られ、博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿と呼ばれる。雅楽に優れ、楽道の伝承は郢曲を敦実親王に、箏を醍醐天皇に、琵琶を源脩に、笛は大石峰吉、篳篥は峰吉の子・富門と良峰行正に学んだ。
  • 名笛「葉二」のほかにも、琵琶の名器「玄象(げんじょう)」を羅城門から探し出し、逢坂山の蝉丸のもとに3年間通いつづけて遂に琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」「啄木(たくぼく)」を伝授されるなど、今昔物語などの多くの説話に登場する。
    逢坂山とは、京都から近江に抜ける位置にある滋賀県大津市の山。南側には「逢坂関」が置かれており、平安時代中期以降は不破関と鈴鹿関と並び三関の一つであった。蝉丸作とされる百人一首の「10番:これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」という歌には、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」という詞書がつく。この逢坂の関の庵室は、逢坂山の南にあったとされる。
  • 夢枕獏の小説「陰陽師」において、主人公安倍晴明のパートナーとして博雅が登場し活躍する。

浄蔵(じょうぞう)  

  • 浄蔵は平安時代中期の天台宗の僧。浄蔵貴所。父は当代一の文章博士と呼ばれた三善清行。母は嵯峨天皇の孫。
  • 宇多法皇に師事して出家。比叡山で玄昭に密教を、大慧に悉曇を学んだ。北野天神縁起絵巻によれば、909年(延喜9年)怨霊となり藤原時平を祟っているという菅原道真を調伏しに行くが、時平の両耳から青竜に化現した道真が現れ祈祷を制止したので調伏を辞退した。また935年(承平5年)から940年(天慶3年)にかけて平将門が関東で乱をおこすと、その調伏のため修法を行い霊験があり、その他にも験があたったという。美声の声明を行うことでも知られ、天文・医薬・占・管弦などに通じていたという。

平敦盛「小枝」  

小枝(青葉の笛)
竜笛
2.5×37cm
須磨寺所蔵(神戸市須磨区)

  • 須磨寺にある敦盛の「小枝」。
  • 敦盛の祖父平忠盛が笛の名手であったことから鳥羽帝より与えられ、その後経盛から敦盛へ伝わった。
  • 壇ノ浦で死んだ平敦盛が錦の袋に入れて所持していたものを熊谷直実が須磨寺に納めたという。能の「敦盛」や小学校唱歌「青葉の笛」により、すでに明応年間には誤って「青葉」として広まっていたと言う。
  • なお須磨寺の「小枝」由来によると、弘法大師が入唐した際に長安の青龍寺の「天笠の竹」で作ったものであり、帰朝後、嵯峨帝に献上したものという。嵯峨帝が「青葉の笛」と名付けられ、その後平家に渡ったという。※なお須磨寺には、髙麗笛(1.5×37cm)も所蔵しており、比叡山学祐僧正の作にして青葉の笛と同じく敦盛郷遺愛の笛として、青葉の笛、髙麗笛の2本が敦盛郷遺愛の笛と伝えている。
  • また、敦盛が所持した笛は「小枝」ではなく「漢竹の篳篥」だという伝えもある。

    ※謡曲「敦盛」において、敦盛の霊が直実に対し「げにげにこれは理なり、さてさて樵歌牧笛とは、草刈りの笛 木樵の歌の(中略)小枝蝉折さまざまに、笛の名は多けれども、草刈りの吹く笛ならばこれも名は青葉の笛と思しめせ」の部分で登場する。

平維盛「青葉」  

  • 容貌の美しさから「桜梅少将」と呼ばれ光源氏にも擬せられた平維盛も横笛の名手で、戦場にあっても名笛「青葉」を所持したと言う。
  • 平維盛は倶利伽羅峠の戦いに敗れた後、一ノ谷の戦い前後に密かに陣中から逃亡する。南海へ逃れ、のちに高野山に入って出家したという。
  • 熊野市飛鳥町の光福寺には維盛所持という「青葉の笛」が伝わっていたが、元禄頃の火災により消失したという。

悪源太源義平「青葉の笛」  

  • 悪源太源義平が朝日の里に残した笛も「青葉の笛」と言われる。石切丸の項参照