白山吉光

白山吉光(はくさんよしみつ)  


銘 吉光
七寸五分六厘(22.9cm)
国宝
白山比咩神社所蔵(石川県白山市、石川県立美術館寄託)

来歴  

  • 寛永10年(1633年)12月、徳川家光の養女大姫(清泰院阿智子、水戸藩主徳川頼房の四女)が加賀藩3代藩主前田光高に嫁いだ際の持参品。
    • 寛永20年(1643年)に長男綱紀を出産する。この時光高は金沢にいたが、江戸までの120里(約480km)を通常12日かかるところをわずか7日で急行して駆けつけた。光高はその2年後正保2年(1645年)4月5日に茶会の席で突然倒れて急死。大姫は明暦2年(1656年)に死去。享年30。
  • 1952年3月29日に国宝指定。
  • 現在も石川県白山市の白山比咩神社所蔵(石川県立美術館寄託)




白山論争  

  • 現在石川県と岐阜県の間にそびえ立つ白山は、古来より山岳信仰の対象として崇められ、現在は富士山、立山と並び日本三霊山と称される。
  • 平安時代には越前・加賀・美濃の三方面からの修行僧により禅定道(登山道)が開かれ、その登山口はそれぞれ越前馬場、加賀馬場、美濃馬場として発展した。越前馬場には平泉寺白山神社、加賀馬場には白山比咩神社、美濃馬場には長滝白山神社がそれぞれ建立される。
  • 中でも平泉寺白山神社は最盛期に48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成し、戦国時代には朝倉氏と肩を並べる越前国の一大勢力であったが、天正2年(1574年)一向一揆勢に焼き討ちされ衰亡する。
  • 江戸時代にはそれぞれ再興されるが、白山嶺上の管理を巡り三馬場間で論争が起きた。
  • これは寺院と馬場だけではなく、それぞれの藩主家をも巻き込む領地争いへと発展し、越前(平泉寺白山神社と親藩福井藩)と加賀(白山比咩神社と外様筆頭100万石前田家)の争いは激しく、ついに寛政8年(1688年)8月幕府裁定により白山麓十八ヶ村は幕府領(天領)となった。
    東谷11ヶ村:瀬戸・女原・二口・五味島・釜谷・鴇ヶ谷・深瀬・下田原・島・風嵐・牛首、西谷5ヶ村:杖・小原・丸山・須納谷・新保、尾添谷:荒谷・尾添。
    うち加賀藩は荒谷・尾添の2ヵ村171石。福井藩は残16ヵ村230石
  • このとき白山山頂が平泉寺領と定められ、白山頂上本社の祭祀権を獲得した。こうして4代藩主綱紀の時代に白山論争は終結した。