後藤行光

後藤行光(ごとうゆきみつ)  

短刀
無銘 相州行光
名物 後藤行光
八寸九分

  • 相州行光作の短刀。
  • 目釘孔2つ。無銘。
  • 享保名物帳所載

    後藤行光 無銘 八寸九分 加藤和泉守殿
    後藤庄左衛門所持、加藤左馬之助殿御求、表剣裏護摩箸

由来  

  • 金座の後藤庄右衛門広世の所持にちなむ。
    後藤庄三郎家二代、庄三郎広世。寛永2年(1625年)に家督を継ぎ、延宝8年(1680年)に没している。後藤庄三郎由緒書によれば、広世は徳川家康の落胤とする。
     小判座後藤庄三郎家は、橋本庄三郎が金工師後藤徳乗(後藤四郎兵衛)に職人として才覚を認められて代理人に抜擢され、のち徳乗と家康に後藤庄三郎光次の名と、五三桐紋の使用を許された。
    なお「後藤庄右衛門」は、初代、後藤庄三郎光次の隠居後の名称という説もある。

来歴  

  • のちに加藤嘉明が入手し、以後、水口藩主の加藤家に伝来した。
    加藤嘉明は寛永4年(1627年)に会津若松に43万石で移封され初代藩主となる。寛永8年(1631年)没。嫡子の明成の代に会津騒動を起こし、寛永20年(1643年)には所領を返上する。のち天和2年(1682年)に庶子の加藤明友(嘉明孫)が近江国水口藩2万石に取り立てられ、その後水口藩は幕末まで続いた。
  • 宝永元年(1704)年に三千貫の折紙がつけられる。
    水口藩2代藩主加藤明英(明友嫡子)のころと思われる。
  • 大正14年(1925年)、同家の売立で「伏見貞宗」(現国宝)とともに出品されるも親引き(売り主により買い戻し)された。
    大島行光」も同家に伝わった。