別所貞宗

別所貞宗(べっしょさだむね)  

脇差
刃長一尺三分

  • 享保名物帳所載

    別所貞宗 無銘長一尺三分 代金百枚 松平陸奥守殿
    表剣、裏護摩箸、忠先直す、峰の先広し、由緒聢とは不知、播州三木城主別所小三郎所持の刀、元和の頃右の代付なり

  • 差表に剣、裏に護摩箸。または表に剣樋、裏に笄樋の彫物という。
  • 拵えの目抜きは、赤胴の壷笠目抜きで、横引両の紋の焼付け。小柄は赤胴で浪に月の色絵。裏は金哺み、後藤程乗の在銘。小刀は相模守政常の在銘。鞘の栗形と折金は赤胴、桔梗門の色絵。鵐目は四分の一。

由来  

  • 播州三木城主、別所長治所持にちなむ。

来歴  

  • 別所長治は信長の中国方面軍秀吉に攻められ、天正8年(1580年)正月17日三木城は落城し、長治は切腹した。
  • この貞宗はのち黒田長政が入手。
  • 二代将軍秀忠が黒田邸に御成のさいに献上。
  • 元和3年(1617年)12月13日、奥州伊達政宗の嫡子忠宗のもとに、秀忠養女振姫(姫路藩主池田輝政の娘、孝勝院。母は徳川家康の次女督姫)が輿入れした。
    当初は徳川家康の五女市姫が嫁ぐ予定であった。慶長12年(1607年)2月に婚約するが、慶長15年(1610年)2月4歳で夭折。野苺を摘んでいた際、毒虫に刺され、それが原因でこの世を去ったと言う。清雲院。
  • 元和3年(1617年)12月18日、御礼言上のために政宗が登城すると、秀忠はこの「別所貞宗」を与えた。

    十八日松平陸奧守政宗。美作守忠宗父子まうのぼり。姫君降嫁を謝し奉り。(略)政宗へ別所貞宗の御脇差たまひ。忠宗に長光の御刀。貞宗御脇差(太鼓磬と稱す)を賜ひ。その家司伊達安房成實。伊達安藝定宗も拜謁し時服を下さる。

    政宗に別所貞宗の脇差。忠宗に長光の刀と太鼓鐘貞宗の短刀

  • このころ本阿弥家で金百枚の折紙を出している。
  • 以後、同家に伝来。
  • 明治17年(1884年)8月、東京の伊達邸に移された。
  • 現在は所在不明。