大倶利伽羅広光
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大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)
- 大倶梨伽羅広光
- 佩き表に大きな倶利伽羅(剣に巻きついた竜)が彫られている。裏は腰樋と添え樋。
由来
- 刀身の指裏にある大きな倶利伽羅竜の彫り物にちなむ。
- 江戸時代後期の仙台藩の儒者若林靖亭(若林友輔)によれば、政宗が常に軍陣に帯びていたといい、非常な業物であったという。
来歴
- 伊達政宗が徳川将軍家より拝領したもので、それ以前の来歴は不明。
- 徳川家から江戸城の石垣修築の命がくだされ、元和6年(1620年)に完成する。
- その時の褒賞として与えられたものだが、当時政宗は仙台藩在国であったため嫡子の美作守忠宗が11月21日に拝領した。
今度當城普請之儀、入念依被申付、早速出来、怡覺候、殊更美作守(忠宗)入精之段、令感候、下々苦労之至候也、謹言、
十一月廿一日 秀忠(花押)
仙台宰相(政宗)殿大倶利伽羅広光、相国秀忠公より忠宗拝領し給ふ
忠宗は慶長16年(1611年)の元服の際に正五位下・美作守に叙任されている。寛永3年(1626年)8月に政宗が従三位・権中納言、忠宗が少将越前守、秀宗が四位・侍従、遠江守に昇進している。寛永13年(1636年)5月24日、政宗薨去。その後忠宗が家督を継ぎ仙台藩2代藩主となった。
- 貞享4年(1687年)卯月29日、本阿弥家に砥に出され、刃長などが測られている。「長二尺二寸二分五厘」で名物帳にもこの長で記載されるが、伊達家の記録ではすべて「長二尺二寸三分」になっているという。
- 将軍家から拝領した時にすでに五十枚の小札がついていたが、安永7年(1778年)12月に百枚に格上げされている。
- 昭和まで伊達家に伝わる。
- 明治17年(1884年)8月に仙台から東京に移される。
明治17年(1884年)7月7日華族令発布、同日付で伊達興宗は従四位伯爵を叙爵している。
- 関東大震災も免れている。
- 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では伊達興宗伯爵所持。
- 昭和9年(1934年)12月20日重要美術品認定、伊達興宗伯爵所持。
刀 無銘(名物大倶利伽羅広光)
東京品川區大井林町 伯爵伊達興宗
(昭和9年文部省告示第305號)
- 昭和36年(1961年)の「正宗とその一門」、昭和44年(1969年)の「武将とその名刀展」では飯村嘉章氏所持。
- 現存
ページ頭の所蔵者情報については大阪府発表資料に基づく。なお日本刀剣博物技術研究財団のページによれば「個人所有」となっている。このページでは公開情報である大阪府資料に従うものとする。
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