龍造寺国次
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龍造寺国次(りゅうぞうじくにつぐ)
脇差
銘 相州国次作 永正十一年二月
刃長52cm
佐賀県立美術館所蔵
- 相州国次の作。
- 永正11年は1514年であり、享禄2年(1529年)生まれの隆信の佩刀としてはほぼ現代刀であったことになる。
由来
- もとは肥前の熊と恐れられた肥前佐賀の戦国大名、龍造寺隆信の佩刀であった。
- 龍造寺隆信は、大友氏を破って肥前・肥後・筑前・筑後・豊前の五州を支配し九州北部で覇権を握るが、北進してきた島津家と激突する。
- 天正12年(1584年)3月の沖田畷の戦いで、薩摩島津家の家臣川上忠堅が槍で隆信を突き倒し、川上の従卒が駆け寄って首を切り落とした。
- 戦後川上は、その功により龍造寺隆信の甲冑と太刀を与えられ、子孫の家に伝来した。
来歴
- 川上家では、この脇差を「神霊」と墨書した箱に収め、龍造寺隆信の霊を弔うために氏神とした。
- 平成20年(2008年)になって、当時関西に住んでいた川上家15代当主より、龍造寺隆信の地元で保存して欲しいと佐賀県に寄贈され、翌平成21年より佐賀県立美術館で所蔵・公開されている。
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