須我利太刀


 須我流横刀(すがるのたち / すかりのたち)

儀礼用太刀
伊勢神宮所蔵

  • 須我流、須加流。
  • 須賀利御太刀(すがりのおんたち)、須我利太刀(すがりのたち/すかりのたち)とも。
    • ※「異制玉纒横刀」とも呼ばれたという。
    • ※また故実叢書 武家名目抄によれば「都牟賀利乃太刀」(つむがり?)だともいう。素戔嗚尊が使ったという。また同書では物切れの良いことを「すっかり」というのはこの須我利が語源だともしている(「猶都牟賀利というかことく、利く斷ち切るさまをたゝへていへる名也今物のよく切れたるをすつかりといふは卽この須我利なり」)。
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 概要

  • 玉纏横刀」と同じく、式年遷宮時に納められる皇大神宮神宝のひとつ。
  • 神宝には約60柄の太刀が含まれるが、この「玉纏横刀」および「須我流横刀」の2柄は特に格式が高く豪華絢爛な造りであることから、神宝を代表するものとして知られている。
  • なお内宮御料に納める太刀のうち、第62回遷宮時の「玉纏御太刀」及び「須賀利御太刀」の太刀身については人間国宝の天田昭次氏が鍛えている。現在知られる日本刀様式(湾刀)ではなく直刀である。また太刀拵については森本錺金具製作所の調製である。
  • 遷宮時に撤下神宝として埋められるものであるが、昭和4年(1929年)に調進されたものが、宗教法人神宮に所蔵されている。※撤下神宝については「玉纏横刀」の項を参照

    須賀利御太刀 附 平緒、鮒形、太刀
    皇大神宮御料
    昭和4年(1929)調進
    三重・神宮司庁蔵

 名前の由来

  • 読みの「すがる(すがり)」とはジガバチ(似我蜂)の古名とされ、ハチの様に美しい装飾であることを示しているとされる。「こしぼそ(腰細)の」の枕詞にかかり、美人の形容としても用いられた。

    すがる(名) 蜾蠃 〔鳴ク聲ヲ名トセルカ〕(一)似我蜂ノ古名。又、サソリ。コシボソバチ。雄略記、六年三月「蜾蠃」此云須我屢」(人名)萬葉集、十六長歌「殿ノ甍ニ、飛ビ翔ケル、爲輕(スガル)ノ如キ、腰細ニ」女ヲモ譬ヘテ、腰細ノすがる()とめト云ヘリ。 ※後略
    (大言海 第2巻 富山房、1933)

    すがる【蜾蠃】(名)〔ハチのような虫の総称ともいう。後世の和歌では、誤ってシカを指す語として用いられたらしい〕ハチ。ジガバチ。「春されば─生(な)る野のほととぎす」<万・一九七九>
    (講談社古語辞典 講談社、1969)

    "須我流"(須加流)なのか"須我利"(須賀利)なのかはブレがあってわからないが、もし語源がこの古名詞「すがる」だとすれば、「須我流(須加流、すがる)」が正しいことになると思われる。実際延暦、延喜では"須我流"と書いている。しかし長暦(1037-1040)の内宮送官符の時点ですでに「須賀利太刀」となっており、今となっては呼び名から語源を推定しているにすぎず、その名前の由来が何だったのかはよくわからない。

  • 一説にこの須我流横刀(玉纏横刀も同様)の原型は、古墳時代の大刀形埴輪(古くは消化器形埴輪 と呼ばれた)の大刀を模した、あるいはその祖形があるのではないかという指摘がある。直刀であることもそれを裏付けるものとなっている。

 書物に登場する須我流横刀

  • 古くは延暦23年(804年)の皇太神宮儀式帳の宝物19種に記載されている。

    寶殿物十九種
      玉纏横刀(タマキノタチ)一柄  須我流(スカリノ)横刀(タチ)一柄

  • 神宝が21種類に増えた延喜式でも記載されている。

    神寶二十一種。
    須我流(スカリノ)横刀(タチ)一柄。柄ノ長六寸。鞘長三尺。其鞘以テ金銀泥畫之。柄以鴾羽纏之。柄勾皮長一尺四寸。裏小暈繝錦廣一寸。押鏡形金六枚、柄ノ枚押小暈繝ノ錦長三寸一分。廣一寸五分。四角立乳形著ク五色組。長一丈。阿志須恵組四尺。金鮒形一隻。長六寸。廣ニ寸五分。著紫組。長六尺。袋一口。表大暈繝錦。裏緋綾帛。各長七尺。

  • 内宮送官符

    須賀利太刀一柄
    柄長六寸用赤木身長三尺鞘長三尺一寸並黒漆平文皆銅金物以金銀以緋糸纏付鴾羽柄金物除玉鈴之外皆銅玉纏大刀。鞘金物口金金貳重帯取金貳枚各在之。三筋志波利金一枚緒唐組貳条長一丈五尺廣四寸五分、帯取同唐組貳条長一尺六寸廣六分、志波利加久皮端金䒭皆同玉纏太刀。但鞘著鈴八口金鮒形貳隻身長六寸廣ニ寸五分以紫小組著長六尺
     已上納袋一口表大繧繝錦裏緋綾長五尺
    (内宮長暦送官符)

    須賀利太刀 一腰
    柄長六寸五分 用赤木。身長三尺五寸。鞘長三尺六寸二分。 ※後略
    (内宮寛正送官符)

  • 神宮神宝図巻(康永)

    須賀利太刀 一腰□□□□
    身長三尺、天喜三尺一寸、寛弘三尺一寸、康永三尺五寸。
    今度康永柄長六寸五分、鞘長三尺六寸ニ分。

    「天喜三尺一寸、寛弘三尺一寸、康永三尺五寸」とは、各時代に記録された須我利太刀に長さの違いがあるという指摘である。天喜は天喜5年(1057年)の第20回式年遷宮(内宮)で後冷泉天皇期、"寛弘"は式年遷宮が行われておらず"寛正"(1462年第40回)の誤りらしいがそれだと年代が合わない(この文書は康永)ため寛仁3年(1019年)の第18回式年遷宮(内宮)か?後一条天皇期にあたる、康永は康永2年(1343年)で南北朝期。各遷宮時の須我利太刀は同物ではなく、遷宮のたびに都度本様を参考に理解したものを作製してきたため、当然ながら同一の大きさのものが出来上がるわけではない。

  • 国華余芳

    皇太神宮神寶
      須我流横刀(スガルノタチ)
    皇太神宮儀式帳云寶殿ノ中ニ須我流横刀一柄トアリ、同解云須我流ハ俗ニ須牟賀利ト(ホム)ルニ同シ、ソノ横刀ノウルワシキヲイフ。此太刀雑作太刀ニムカヘ見レハ(イト)麗シト云フ。延喜式及内宮長暦送官符ニ、柄長六寸赤木ヲ用ヒ身長サ三尺、鞘長三尺一寸並黒漆平文皆銅金物銀泥ヲ以テ畫キ緋糸ヲ以テ鴾羽(トキノハ)ヲ纏付ク、柄ノ金物ハ玉鈴ヲ除ノ外皆玉纏太刀ニ同シ。鞘金物口金貳重帯取金四角立乳形ニ枚五色組長一丈長暦送官符ニ一丈五尺トス阿志須恵ニ組四尺金鮒形一隻長六寸廣ニ寸五分。志波利加久皮端金䒭皆同玉纏太刀但鞘ニ鈴八口ヲ著トアリ
    (国華余芳)
    ※引用時に句読点を入れた

 鴾羽

  • 各書に出てくる「鴾羽」とはトキの羽根のことで、2枚のトキの尾羽根で包み込むように柄を装飾しているのが特徴となっている。

    柄以鴾羽纏之。

    緋糸ヲ以テ鴾羽(トキノハ)ヲ纏付ク

  • 明治以降にはさらに詳細に記述されており、明治22年(1889年)時の「御装束神宝改正見込調書」では

    鴾羽貳枚、柄ニ纏フ。緋糸鴾羽ノ上に町形ニ纏ヒ着ク

    と書かれており(明治42年調書も同じ)、さらに昭和4年(1929年)の仕様書には

    須賀利御太刀柄、長六寸。末広一寸八厘、厚五分八厘、赤木ヲ用ヒ、漆ヲ以テ布ヲ着セ鴾羽ヲ纏ヒ緋糸ヲ以テ其ノ上ヲ巻ク

    とより詳細に記述される(昭和28年以降も同じ)。

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