鐘切
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鐘切り(かねきり)
関兼則作
- 小多喜権兵衛の差料。
- 権兵衛は江戸初期小田原町の男伊達小多喜組に属し、元来は商人。
- 浅草に鐘弥左衛門という大力の男伊達がいた。もと隅田川の船頭で、20歳の時侠客の群に入り鐘姓を名乗る。鐘は突かれても叩かれても遠くまで音が聞こえることにちなむ。
- 権兵衛も鐘弥左衛門も新吉原江戸町二丁目、玉屋抱えの錦木という遊女のもとに通っており、延宝6年(1678年)11月のある日、両人が錦木で鉢合わせしてしまう。
- 権兵衛が「今何時だ?鐘を叩く時間ではないか」と皮肉ると鐘弥左衛門はそれを咎め、「昼の時外れの3人や5人で鐘を打とうとは思いもよらぬわ。小多喜組なら権兵衛に聞いてみよ」とやり返す。
- かっときた権兵衛がわが差料は関の兼則、異名を鐘切りという。弥左衛門が胴なかを斬ってくれようかと刀を抜いて斬ってかかった。それと同時に連れの左兵衛と小多喜宇右衛門の3人も切りつけ、弥左衛門が苦戦しているところに蔵前の男伊達たち若江長六と善兵衛が通りかかり止めにはいるが、両方聞き入れないため苦戦している弥左衛門方についてしまい両人も斬り合いになる。
- そこに遊女錦木が出てきて、権兵衛の刀の切先に着ていた小袖を脱いで投げかけた。その機転に我に返った町内の者達が袖がらみや刺股を持ち出してきて両方を引き分けたのでけが人が出ないで済んだという。
武蔵坊弁慶所持
- 弁慶所持の太刀。平安城有国作という。
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