蔵人


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 蔵人(くろうど)

  • 律令制下の令外官のひとつ
  • 蔵人所は事務を行う場所のことで、内裏校書殿の北部に置かれた。

 はじまり

  • 平成天皇が嵯峨天皇に譲位し平城上皇として平城京に移り住んだ際、藤原薬子やその兄藤原仲成もこれに同行した。
  • この時、藤原薬子は天皇の秘書である内侍司の長官(尚侍)でもあったため、平安京に残っていた嵯峨天皇は太政官の議政官への命令文書にあたる内侍宣を出すことができなくなるなど支障を来たすようになった。※内侍司は後宮十二司のひとつ
  • さらに上皇が尚侍である薬子を通じて太政官に命令を出す事態も考えられたため、憂慮した嵯峨天皇が新たな秘書官として藤原冬嗣と巨勢野足を蔵人頭に、清原夏野らを蔵人に任命したのがはじまり。
  • 藤原冬嗣のその後の出世に伴い、以後参議に欠員が出た場合に蔵人頭が即参議に就任するようになり、公卿への昇進への登竜門ともいえる役職となった。

 概要

  • 当初は書籍や御物の管理、訴訟を扱ったが、後には訴訟には関与しなくなる代わりに侍従や少納言局や主鷹司など、他の組織の職掌を奪っていき、詔勅、上奏の伝達や、警護、事務、雑務等殿上におけるあらゆる事を取り仕切る機関となった。
  • 平安時代中期になると、内豎所・御匣殿・進物所・ 大歌所・楽所・作物所・御書所・一本御書所・内御書所・画所など「所」といわれる天皇家の家政機関一切を取り扱うようになり、相対的に後宮を取り仕切っていた後宮十二司の役割が低下し、平安中期には内侍司に他の11司の機能が吸収・統合される形で後宮の機構改革が行われ、摂関政治期を迎えることになった。

 構成

 別当

  • 蔵人所の名目上の責任で大臣が兼任した。

 

  • 蔵人所の実質的な長で、通常は四位の者が補任されるが、官位相当は無い。
  • 殿上における席次も上の位階の殿上人よりも上座とされ、首席に座を占めることになっていた。そのことから「貫主」(かんず)とも呼ばれ、また禁色の使用が許されていた。
  • 平安時代末期には、武官である近衛中将と、文官である弁官の大弁または中弁から1名ずつ選ばれることが多くなった。中弁から補任された1名が「頭弁(とうのべん)」と呼ばれ、近衛中将から補任されたもう1名が「頭中将(とうのちゅうじょう)」と呼ばれた。また内蔵頭が蔵人頭を兼ねた場合に「頭頭(とうのとう)」と呼ばれた。

 五位蔵人

  • 蔵人所の次官で、蔵人頭の次位にあたる。勅旨や上奏を伝達する役目を蔵人頭と受け持った。弁官と衛門佐を兼任して「三事兼帯」と呼ばれる者もいた。
  • 五位の殿上人の中から、家柄がよく学識才能のある者が特に選ばれた。

 六位蔵人

  • 五位蔵人の次位にあたり、天皇の膳の給仕等、秘書的役割を果たした。
  • 「公卿の子弟の非蔵人(蔵人の見習)」、「非蔵人」、「執柄勾当(摂家の家来)」、「院蔵人」 「雑色」、「儒生の修了者(明法道などの難試験に合格した者)」、「判官代」の順で任官順位が決まっていた。
  • 就任した順に「新蔵人」(しんくろうど)、「氏蔵人」(うじくろうど)、「差次」(さしつぎ)、「極﨟」(ごくろう)という席次があり、首席の「極﨟」を6年間勤めると巡爵し、自動的に五位に昇進した。
  • 巡爵の際、五位蔵人に空きが無いと、蔵人を辞職し地下人になる決まりであり、蔵人五位(くろうどのごい)と呼ばれた。殿上人ではなくなるため、あえて叙爵を受けずに六位に留まり、改めて末席の「新蔵人」となる「鷁退(逆退とも。げきたい)」という慣例が生まれた。

 非蔵人

  • 蔵人見習いで、六位の中から選ばれ昇殿を許され雑務をこなした。


 任官の手続き

 口宣案(くぜんあん)

  • 受領任官の願いが内侍により天皇に奏上され勅許されると、内侍がその旨を蔵人頭に伝える。
  • 蔵人頭は、それを薄墨色の宿紙(朝廷での反故紙を紙屋川ですき直したもの)に口宣案を書く。
  • 【口宣案】

    (端裏書)口 宣 案

    上卿鷲尾大納言
    文政四年十月十三日宣旨
     藤 原 弘 元
      宜 任 陸 奥 介
               奉
    蔵人頭左中弁兼皇太后亮藤原光成

    • これは案が付いている通り口宣する際の案文(メモ)。本人に下げ渡すものではないが、実際は本人がもらって帰った。
    • 現存する刀工の最古のものでは任官が寛正4年(1463)年6月5日若州宗次が左衛門尉に任じられた時のもの。受領は永禄3年(1560年)10月21日に若州次広が伊賀守に任じられたものである。
  • 口宣案に職事消息という依頼状を添えて太政官の陣座(じんのざ)の上卿(しょうけい)に提出。
  • 【職事消息】

    口宣 一枚 献上之
    早可其下知給候状如件
     十月十三日  左中弁光成
    途上 鷲尾大納言殿

  • 上卿はその場で任官の事務を担当している外記に下げ渡す。外記の大外記の名で、白い檀紙に宣旨が書かれる。
  • 【宣旨】

      藤 原 弘 元
    従二位行権大納言藤原朝臣隆純
    宣奉 勅件人宣令任
    陸奥介者
               奉
    文政四年十月十三日大外記兼掃
    部頭造酒正助教中原朝臣師徳

    • 陸奥介者とは、「陸奥介と云へり」の意。
  • 以上の蔵人頭から外記までの手続きを、消息宣下と呼ぶ。
    一般的には口宣案だけが下げ渡されることが多かったという。

 将軍宣下

  • 【宣旨】

     權大納言源朝臣家宣
    右中辨兼春宮大進藤原朝臣益光傳宣
    權大納言藤原朝臣基勝宣
               奉
    勅件人宜爲征夷大將軍者
    寳永六年四月二日修理東大寺大佛
    長官主殿頭兼左大史小槻宿禰章弘奉

    • 徳川家宣への将軍宣下

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