肥後江
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肥後江(ひごごう)
刀
大磨上無銘 郷義弘
二尺三寸四分
- 肥後郷、熊本江、熊本郷、紀伊江、紀伊郷
- 享保名物帳所載(ヤケ)
肥後
熊本 郷 磨上長二尺三寸四分 代金二百枚 御物
紀伊
加藤肥後守清正卿、光瑳取次にて代五千貫にて御求め、紀伊大納言へ進之、家康公へ上る、肥後の城下を熊本と云ふに付三品に名く
由来
- 加藤清正所持で、その領地である肥後熊本の名がつく。
- また紀伊徳川家に贈られたあと将軍家に上ったため、紀伊江ともいう。
来歴
- 本阿弥光瑳の取次により、加藤清正が五千貫で購入。(千五百貫とも)
- 加藤清正の娘、瑤林院八十姫を紀伊大納言頼宣に嫁がせる際に、婿引出として頼宣に贈った。
- のち頼宣はこれを家康に献上する。百枚の折り紙が就く。
- 明暦の大火で焼失。
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