神息(刀工)
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神息(しんそく)
- 神足とも。
- 同銘数代あったとされる。
- 長享銘尽
和同元年(708年)戊申御職位ノ御門(帝)元明天王ト申考、神武ヨリ四十二代也、其ヨリ大同年中御門平城天王ト申御宇及、百余歳イケリ、生死不知云、豊前國宇佐ノ宮ノ社僧也、寳動(宝動)同作六寸五分也、又平城第一王子(阿保親王か)御剣ヲ造、又此作太刀一安房守□帯ス、正応六年(1293年)四月廿二日合戦□失□此作櫛?刃切矢摺ノチト筋カウニチヲフカク切ル中子少し濤丸□也、カトナキ□也、目貫穴ニ□アリ
ヲトナシト云劍如此アリ、又寳動ト云
(事実かはともかくとして)長享銘尽では和銅年間から大同年間まで100年以上活動したと書く。豊前宇佐神宮の神官という。六寸五分の宝動という剣を鍛え、また平城天皇第一皇子の御剣を作ったともいう。正応6年(1293年)4月の戦いというのは平禅門の乱(内管領平頼綱)を指している。
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概要
- 元明天皇の御宇の人、あるいは和同年間(708年から715年)の人ともいう。
元明天皇在位:慶雲4年(707年)~和銅8年(715年)。
- 平城天皇第一皇子(阿保親王か)の御守刀を作ったという。それには長銘で「宇佐八幡宮神息」と在銘という。刃長一尺三寸五分、柄實三寸六分、反り七分。
平城天皇在位:延暦25年(806年)~大同4年(809年)。
- つまりこの二点のみを見ても同銘数代続いたことになるが、これは宇佐神宮の神官の中で鍛冶を担当するものがおり、それが「神息」という名前で呼ばれていたことを示すともいう。
宇佐神宮
- 宇佐神宮境内に菱形池と呼ばれる池があり、この側に3つの霊泉があり御霊水、あるいは御鍛冶場などと呼ばれている。神宮に伝わる話しによれば、神息はここに住み、鍛刀を行ったという。
- 八幡大神ゆかりの伝承_鍛冶翁 │ 八幡総本宮 宇佐神宮
早池峯山 妙泉寺
- 岩手県遠野市の妙泉寺に伝わる「早池峯山大権現御宝剣由来」
神息 和銅之比 宇佐宮住兼銅細工云々 平城天皇第七宮御護刀ヲ作ル 其銘ニハ宇佐住八幡宮神息ト長銘ニ打モアリ 此鍛冶ハ竜神化現只人ニアラスト云 是ヲ以テ剣用トス 然ルニ神息ハ利剣ヲ作分太刀ト用也 宝剣ヲ作ツケテ刀ト云フ 此神息太刀ヲ作ル事九十九振ト云 此内八振ハ銘アリト云申
在銘刀
- 島原藩松平家伝来
- 島原藩主の深溝松平家に伝来した刀。「神息」および「神氣」。
- 神息:9世紀初めに天皇の皇子の護身用に打たれたという。
- 神氣:約71cm。「明暦弐年(1656年)二月三日」付の本阿弥光温の折紙が附く。また「深溝世紀」によれば、天保13年(1842年)に本阿弥百次郎に両刀を研がしめたとある。昭和39年(1964年)の島原城天守閣復元時、松平家から長崎県島原市へ寄贈された。
「神氣」の製作年代は鎌倉中期・栗田口国綱の作と見られている。また銘が通常とは逆に尻の方に向かって切られており、折返し銘と考えられている。
長崎県有形文化財、重要刀剣。現在は島原市所蔵。
刀 折返銘神氣|長崎県の文化財
- 徳川家伝来短刀
- 本阿弥光温指料といい、徳川家に伝来した。表に三字、裏に二字の梵字が入る。刀樋に添樋。鎌倉末の製作。
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