古筆了佐
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古筆了佐(こひつ りょうさ)
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概要
生涯
- 平沢弥四郎は元亀3年(1572年)近江西川の生まれ。佐々木源氏の末流という。
- 名は範定、のち節世と改めた。
- 父は出家して宗休(そうきゅう)を号していた。のち、弥四郎は父の宗休とともに京都に出て近衛前久・烏丸光広に入門し、和歌を学んだ。
- 光広は和歌の他、書、古筆鑑定、古筆蒐集を行っていたことから、父子は同時に古筆鑑定についても学ぶこととなる。また前久には書画の鑑定を学んでいる。
烏丸光廣卿はじめて了佐というものに命じて、古筆目利の名を唱へしむ
- のち古筆鑑定で名を成した平沢弥四郎は、豊臣秀次より「古筆」の姓を名乗るよう命じられ、同時に「琴山」という純金の極印も拝領した。すでに出家して「了佐」(りょうさ)と号していたため、古筆了佐(こひつ りょうさ)と名乗る。
- こうして平沢弥四郎こと古筆了佐は、古筆鑑定を生業とする古筆家初代となる。
- 了佐は寛文2年(1662年)1月28日没、享年91。
系譜
- 古筆家は、了佐の子・了栄が京都の本家を継ぎ、13代了信が太平洋戦争の頃まで生業とした。
- また了佐の次男・勘兵衛(一村)は江戸に出ており、勘兵衛の子の守村(もりむら)が同じ勘兵衛を襲名し、古筆了任を名乗り別家を立てた。こちらは江戸幕府に仕えて古筆見(こひつみ)という職名を与えられている。
【古筆別家】 古筆了佐─┬古筆一村──古筆了任━━古筆了仲【古筆別家:古筆見】 │ │【古筆本家】 【別家12代】 ├古筆了栄──了祐━━了周 ┌了観━了仲 ├古筆了雪──了珉──了音──了延──了泉━━了意─┬了伴─┴了材─了博━了悦 └清円尼 └常最──了悦─了信 ├───了周 小川氏 【古筆本家】 初代了佐─二代了栄─三代了祐─四代了周─五代了珉─六代了音─七代了延─┐ ┌──────────────────────────────────┘ └─八代了泉──九代了意─十代了伴─十一代了博─十二代了悦─十三代了信
宗家二代・古筆了栄
- 古筆了佐の四男。
宗家三代・古筆了祐
- 実香
- 二代了栄の子。
宗家四代・古筆了周
- 重忠
- 古筆了佐の男子
宗家五代・古筆了珉
- 重政
- 古筆了佐の五男了雪の子。
宗家六代・古筆了音
- 最専
- 五代了珉の子。
宗家七代・古筆了延
- 最門
- 六代了音の子。
宗家八代・古筆了泉
- 最隆
- 七代了延の子。
宗家九代・古筆了意
- 定常
- 神田道僖の子・神田道古が宗家八代古筆了泉の養子となり継いだ。
宗家10代・古筆了伴
- 古筆了意の子。古筆宗家10代。
- 姓は平沢。名は最恒。通称は弥太郎。
- 寛政2年(1790年)生まれ、嘉永6年(1853年)没、64歳。
- 別号に一篷庵夢翁。
宗家11代・古筆了博
- 最信
- 宗家10代古筆了伴の子・了材の子。※了伴の孫
宗家12代・古筆了悦
- 最祐
- 古筆了意の子・常最の子。※了意の孫
- 宗家12代を継いだ。
宗家13代・古筆了信
- 古筆了悦の子。
別家二代・古筆了任
- 古筆了佐の次男・勘兵衛(一村)の子、勘兵衛守村。
古筆了佐──勘兵衛一村──勘兵衛守村(古筆了任)
- 号 了任。
別家三代・古筆了仲
- 明暦2年(1656年)の生まれ。
- 本姓は清水、名は守直。通称は務兵衛。清水了因。
- 了伴の門人で、のち古筆別家の二代・古筆了任の養子となって継いだ。
- 元文元年(1736年)没、81歳。
- 別号に舎玄斎、釣玄斎。
別家12代・古筆了観
- 宗家・了伴の次男・最村。
- 別家11代了之助の跡を継いだ。
別家13代・古筆了仲
- 文政3年(1820年)~明治24年(1891年)
- 浅野文達の子、栄村。
- 別家12代・古筆了観の養子となって継いだ。
別家14代・古筆了仲
- 嘉永7年(1854年)~大正9年(1920年)
- 直村
別家15代・古筆了任
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