南総里見八犬伝


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 南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)

曲亭馬琴作の長編読本
南總里見八犬傳、里見八犬伝、八犬伝とも
全98巻106冊

  • 江戸時代の戯作文芸の代表作で、上田秋成の「雨月物語」などと並び称される日本の長編伝奇小説の古典の一つである
  • 数々の由来を持つ名刀が登場する。
Table of Contents

 概要

  • 室町時代後期の関東地方を舞台に、里見家の勃興と伏姫(ふせひめ)と八房(やつふさ)の因縁、八犬士たちの流転と集結、関東管領・滸我公方連合軍との戦いを経て大団円を迎える。
  • 抄訳本では、京都での物語や管領戦以降が省略される。
  • 作者・曲亭馬琴(瀧澤興邦)は、この物語の完成に48歳から75歳に至るまでの後半生を費やし、途中失明という困難に遭遇しながらも、息子宗伯の妻であるお路の口述筆記により最終話まで完成させた。

 あらすじ

  • 安房国里見家の伏姫と、8人の若武者八犬士を主人公とする。
  • 長禄元年(1457年)、隣接する館山の安西景連に攻められ落城間近のとき、里見義実は飼い犬の八房(やつふさ)に、「景連の首を取ってきたら娘の伏姫(ふせひめ)を与えよう」と戯れをいう。
  • 見事景連の首を取ってきた八房に、伏姫は運命と諦め自ら八房を伴い南総富山(とみさん)原文では"とやま")に入る。法華経を読経する日々を過ごす中、山中で出会った仙童から、八房がかつて里見義実が殺した玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念が解けたこと、さらに八房の気を受けて胤を宿していることを告げられる。
  • 懐妊を恥じた伏姫は、折しも富山に入ってきた里見義実の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証す。
  • その傷口から流れでた白気は、伏姫が身につけていた数珠を空中に運び、仁義八行の文字が浮かぶ八つの大珠を八方に飛散させる。

    この水晶の念珠には、數とりの玉に文字ありて、仁義禮智忠信孝悌と(よま)れたる、この文字(もんじ)は彫るにあらず、又漆して書るに侍らず。自然と生じ(あら)はれけん。年来日来(としごろひごろ)手に觸れたれども、磨減(すれうす)ることなかりしに、景連が滅びしとき、ゆくりなく見侍れば、仁義の八字は蹟なくなりて、異なる文字になり侍り。

    護身刀(まもりがたな)を引拔て、腹へぐさと突立て、眞一文字に掻切給へば、あやしむべし瘡口より、一朶(いちだ)白氣(はくき)閃き出、襟に掛させ給ひたる、彼水晶の珠數(ずゝ)をつゝみて、虚空(なかそら)(のぼ)ると見えし、珠數は忽地弗(たちまちふつ)斷離(ちぎ)れて、その一百は連ねしまゝに、地上へ(からり)と落とヾまり、空に遺れる八の珠は、粲然(さんぜん)として光明(ひかり)をはなち、飛遶(とびめぐ)入紊(いりみだ)れて、赫奕(かくやく)たる光景(ありさま)は、流るゝ星に異ならず。主從は今さらに、姫の自殺を(とヾ)めあへず、われにもあらで蒼天(あをぞら)を、うち仰ぎつゝ目も黑白(あや)に、「あれよゝ。」と見る程に、()と音し来る山おろしの風のまにゝ八の靈光(ひかり)は、八方に散失(ちりうせ)て、跡は東の山の端に、夕月(ゆふつき)のみぞさし昇る。當是數年(まさにこれすねん)の後、八犬士出現して、遂に里見の家に集合(つどふ)萌芽(きざし)をこゝにひらくなるべし。

  • その時同行していた金碗大輔(かなまり だいすけ)は後を追い自害しようとするが、里見義実はそれを押しとどめる。金碗大輔は僧体となって「丶大(ちゅだい)」と名乗り、八方に散った珠を求める旅に出る。

 八犬士

  • 「犬」の字を持つ8人の若武者が主人公として登場する。
    また金碗大輔の「丶大(ちゅだい)」も犬の字を分解した名前となっている。
  • 8人はそれぞれ、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が浮かぶ数珠の珠(仁義八行の珠)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。
  • 関八州の各地で生まれた八犬士は、それぞれ辛酸を嘗めながら因縁に導かれつつ互いに出会い、里見家の下に結集する。

 八犬士一覧

犬塚信乃 戍
孝の珠
左腕に牡丹の痣。足利家の宝刀村雨丸、脇差桐一文字。父は犬塚番作。先に生まれた子供が夭折したため、「性別を入れ替えて育てると丈夫に育つ」という言い伝えにより女として女装して育つ。
犬川荘助
義の珠
背中に牡丹の痣。父親は北条の荘官・犬川衛二則任。犬塚信乃が引き取られた大塚家の下男「額蔵」。
犬山道節
忠の珠
左肩に牡丹の痣。火遁の術を使いこなす。父は煉馬家重臣・犬山道策貞与。煉馬氏は豊島氏などとともに扇谷定正に滅ぼされ、父の復讐を誓い、扇谷定正を付け狙う。村雨丸をすり替えた網乾左母二郎から刀を取り戻し、信乃に返す。
犬飼現八
信の珠
右の頬先に牡丹の痣。小文吾とは乳兄弟。偽の村雨丸を献上しようとして追われる身となった犬塚信乃と、芳流閣内の物見櫓「芳流閣」で取っ組み合いをして利根川上の舟に落ちる。
犬田小文吾
悌の珠
尻に牡丹の痣。犬江親兵衛は甥。
犬江親兵衛
仁の珠
脇腹に牡丹の痣。小文吾は伯父にあたる。
犬坂毛野 胤
智の珠
右肘から二の腕に牡丹の痣。千葉氏の重臣・粟飯原胤度の妾の子。八犬士随一の策士。
犬村大角
礼の珠
左胸に牡丹の痣。父は下野の郷士赤岩一角。

 関係系図

 (千葉氏家臣)金碗八郎───大輔(丶大)

 (千葉氏家臣)粟飯原胤度──犬坂毛野

            ┌犬村蟹守儀清──雛衣
            └─母      │
              ├─────犬村大角
             赤岩一角     │
                      │
真里谷入道静蓮─五十子           │
         ├───┬伏姫(伏姫神) │
         │   │        │
         │   │     ┌鄙木姫(三女)
里見季基───里見義実  └里見義成─┼里見義通
               │   └次丸実堯
               │
               ├──浜路姫(五女)
               │
               │  網乾左母二郎(糠助旧宅に住む浪人)
       ┌下河辺為清─盧橘   ︙         ︙
       │(従弟)      犬飼糠助━━犬飼現八 ︙
猪隼太末裔……┴井丹三直秀─手束   ︙(隣人)     ︙
               ├──犬塚信乃       ︙
           ┌犬塚番作   │         ︙
(鎌倉公方家近習)  │(異母妹)  │         ︙
   大塚匠作三戍──┴─亀篠    │         ︙
              ┝━━━浜路 ←(懸想)…………
            大塚蟇六   ↑
      犬川荘助        (養女)
      (下男額蔵)       ︙
                   ︙
                 ┌浜路(正月)
          犬山道策貞与─┴犬山道節
                   ↑乳母
                  音音   ┌─力二郎
                   ├───┤  ├─力二郎
                 姨雪世四郎 │┌曳手
                       │└単節
                       │  ├─尺八郎
                       └─尺八

    杣木朴平──妙真──山林房八
     ↓殺害       │
   ┌那古七郎       ├──犬江親兵衛(大八)
   └古那屋文五兵衛──┬沼藺ぬい
             └犬田小文吾

 概念

  • 作中で解かれる仏教用語。

 名詮自性(みょうせんじしょう)

  • 名がそのものの性質を表していることを示す。八犬伝の物語世界において予め定められた宿命があり、名前の意味が解き明かされることによりその因果が成就したことを示す。伏姫の名は、「人にして犬に従う」ことを示しており、犬江親兵衛の両親である房八・沼藺(ぬい)夫婦の名は、それぞれ「八房」と「いぬ」を転倒させたものである。同様の名詮自性は作中に数多く登場する。

    伏姫の伏の字は、人にして犬に從ふ。この殃厄(まがつみ)のあるべき事、襁褓(むつき)(うち)より(さだま)る所か。名詮自性(めうせんじせう)といひつべし。

 如是畜生発菩提心(にょぜちくしょう ほつぼだいしん)

  • ()くの如く畜生、菩提心を(おこ)すの意。
  • 八房が里見義実の約に従い安西景連の首を取ってきた後、伏姫の数珠にあった「仁義礼智忠信孝悌」に代わって浮き出た文字。八房に取り憑いた玉梓の浄霊とともに文字は元に戻る。

    「五十子思ひ絶給へ。仁義禮智の文字は消て、顕れたるは如是畜生、發菩提心の八字なり。是によりて又思ふに、八行五常は人にあり、菩提心は一切衆生、人畜ともにあらざるなし。かゝれば姫が業因も、今畜生に導れて、菩提の道へわけ入らば、後の世さこそやすからめ。」

  • この出典は梵網経であり、そこでは「()是畜生発菩提心」となっている。この場合、(なんじ)()の畜生、菩提心を(おこ)せとなる。梵網経では、この世の生きとし生けるものは(本来宗教心の無い)畜生を含め菩提心を起こさせなければならないと説いているが、馬琴は畜生を含めた衆生が自ら菩提心を起こすといっているのである。伏姫の捨身により八房の呪いは解け、それとともに仁義八行の珠が八方へ飛散する。



 里見八犬伝に登場する刀

  • 犬塚信乃の持つ「村雨丸」が高名。次のような刀が登場する。
    いうまでもなく曲亭馬琴の創り出した物語上に登場する架空の刀であって、現実に存在するわけではない。

 村雨丸(むらさめまる)

  • 足利家の宝刀。「叢雨丸」
  • 足利尊氏から関東管領足利持氏に伝来。永享11年(1439年)に自害して果てると近習の大塚匠作三戌が持ち、下野結城城に逃げ込んだ。嘉吉元年(1441年)4月そこも落城したため、16歳の番作一戌に村雨を託し脱出させた。
  • 番作は旧領の武蔵大塚に帰り、名を犬塚と改、長男信乃戍孝に村雨を譲る。
  • 鞘から抜くと刀身に露が浮かぶ奇瑞があり、このことから「抜けば玉散る氷の刃」と言われる。

    殺氣を含て拔はなせば、刀の中心(なかご)に露(したゝ)る。(まし)てや人を()るときは、(したゝり)ますゝ流すがごとく、鮮血(ちしほ)を洗ふて刄を染ず。(たとひ)ばかの村雨の葉ずゑを洗ふに異ならずとて、村雨と名づけらる。

 桐一文字の小刀と太刀(きりいちもんじ)

  • 大塚家の重宝で大塚匠作の佩刀。
  • 娘の亀篠が守刀としてもらい、甥の犬塚信乃が所持する。

    此は是、わが父匠作大人、護身刀にせよかしとて、わらはに賜たる短刀なり。桐一文字と唱へたる、鋭刀なればその徳あらん。

    故あるかな、件の短刀(のだち)は、𩋇(めぬき)は金の華桐(はなぎり)なり、中心(なかご)に梵書の一字銘あり、よりて桐一文字と名けたる。便(すなはち)是大塚匠作三戍が、年來(としごろ)秘藏の有試物(わざもの)なりとて、女兒(むすめ)龜篠に取せしかば、龜篠も亦年あまた、護身刀(まもりがたな)にしたりしを、(さき)に信乃を撃せんとて、(ひそか)に額藏に貸たるなり。

  • 叢雨丸を奪わせるため、この短刀を投げつける。
  • 太刀は、匠作戦死の際に遺体とともに埋めるが、庵主が文明15年(1483年)に掘り出すと刀が出てくる。10日ほどのちに信乃が参詣し買い取る。これで大小揃うことになる。

 木天蓼丸(またたびまる)

  • 短刀。「わたたびまる」
    わたたび(和多々比)は、マタタビの古名
  • 長尾家の重宝。長さ九寸五分。
  • 上州白井城普請の際に新たに井戸を掘った所、地中から刃長九寸五分の短刀が出てきた。この柄や鞘が木天蓼(またたび)でできており、かつ魚葉牡丹の赤胴目貫がついていたため犬村大角礼儀の養父、儀清の蔵刀だと判明する。

    上毛なる白井の城は、去歳(こぞ)とり寡君(わがきみ)の手に入りしかば、用水の爲に井を()られしに、土中に一口の短刀あり。とり揚てこれを見るに、長サは凡九寸五分、木柄にして𩋡(さや)も木地なり。或はいふ、木天蓼(わたゝび)をもて造れるものなり。これは是故管領(もとのくわんれい)、持氏朝臣のおん物なりし、村雨丸にやあらんといへり。(しか)れども彼君の滅亡よりして既にはや、(あまた)の年を歴し事なれば、とくこれを辯ずるものなし。且く僉議を凝らされしに、所詮緣連(よりつら)が師匠と聞えし、赤岩一角武遠は、當世无二(むに)の武人にして、且古刀の鏨定も、をさをさよくするものならずや。然らばこの短刀を緣連にもたし遣して、一角に眞偽を問せば、玉石共に分明ならん。とく下野へ赴けとある、

    掘り出された時には村雨と混同されており、鑑定に出そうということになった話。ただし村雨は「大刀」と書かれており、九寸五分の短刀である木天蓼丸とは別物である。

 大月形(おおつきがた)

  • 「大月像」とも。※「形」と「像」は原文でもブレがある。
  • 安房滝田城主、里見義実秘蔵の太刀。小刀の小月形(こつきがた)もある。なお大月形については、家督とともに嫡子の義成へと譲っている。

    我家に、大月形(おほつきがた)小月形(こつきがた)と名けたる、重代の刀あり。大月形は、家督と共に、昔年義成に譲與へたり。

  • 文明15年(1483年)の関東管領との戦いでは、義成がこれを帯びて出陣した。

 小月像(こつきがた)

  • 「小月形」とも。※「形」と「像」は原文でもブレがある。
  • 犬江親兵衛が、主君里見義実より富山における戦功として拝領した刀。

 狙公(さるびき)

  • 安房滝田城主里見家の重宝。
  • 里見季基がまだ上野の小領主であったころに、猿牽き朝暮七が大蛇に襲われているのを救った礼として献上された刀。なかごには「退蛇之神力」と銘が入っており、季基は「狙公」と名付け常に帯びた。
  • 上杉家に滅ぼされた後、その遺骨と狙公を親交のあった宝珠和尚が秘かに隠し持っており、文明15年(1483年)季基の追善供養の際に里見家の遺臣に返した。
  • 刃長二尺余り。鎬地に「依弓馬之力不料所得狙公之刀 源季基」と切りつけてあったという。
  • のちに犬塚信乃がこれを預かり、季基の嗣子義実に渡す。

 若鮎(わかあゆ)

  • 管領細河政元が持つ名刀。
  • 室町幕府の管領細川政元の命による武芸試合において、勝ちを納めた犬江親兵衛が政元から拝領した太刀。しかし親兵衛はこれを佩用することもなく、後に政元へ返している。

    當時京都の五虎(ごこ)と呼ばれた武道の達人たちに徳用を加へ親兵衛と立合せる事になつた。(のが)れる術もなく、第一の試合に鞍馬海傳眞賢を鐵扇で撃ち据ゑ、次々に五虎を破り、遂に徳用を打懲した。彼の武名は彌が上に高く、政元は若鮎の名刀や何やかと與へて親兵衛の引留めに苦心した。

    (さき)に我若鮎の名刀を、手自(てづから)和郎に取せしに、一たびも腰に帯たるを見ず、亦我家(わがいへ)花號(もん)ある衣裳を、幾襲(いくかさね)か與へしに、身に著たるをいまだ見ず。(略)
    小臣(やつがれ)が帶たる短刀(たんたう)は、則是神授にて、大刀(たち)は安房の老侯の、恩賜の名物で候うへば、(たとひ)膝丸・髭斫なるとも、これに(かゆ)べくは思ひ候はず。又(この)衣裳は、安房侯の、賜はせし東西(もの)なれば、破るゝまでも身に(つけ)て、餘香(よかふ)を拝して朝朝夕夕(あさなゆふな)逆旅(たびぢ)(うさ)を慰め侍り。

 鉄切り(くろがねぎり)

  • 「鐵斫(くろがねきり)」
  • 刀工木瓜八(ぼけはち)の作った刀。木瓜八の五代先祖の麻呂太郎平信之から伝えているという人魚の膏油を塗っており、鉄でも斬れたという。文明15年(1483年)関東管領方が水中に張った鉄の鎖を里見方の満呂重時らはこれでやすやすと断ち切り快勝する。

    一箇(ひとつ)の樽に裝られて、鹽浜に漂寓(ただよひよ)りしを、信之不思議に拾得て、もて秘藏せり。(略)人魚膏油(にんぎょのあぶら)(しる)したる、四箇字は(かすか)に讀れしとぞ。(略)
    有一年(あるとし)一個の頭陀(ずだ)ありて、我家に宿せし日、其頭陀件の膏油、我家に在りと聞知りて、主人信之に(をしゆ)るやう、(もし)人ありて、人魚の肉を啖ふときは、其壽三千年を有つべし。惜かな膏油なれば、齢を延す奇効なし。遮莫(さばれ)是を燈火に做すときは、雨風にも(きえ)ずして、日月と光を同くす。又人の身の目鼻口耳臍肛門、(すべ)て九孔に塗りて水に入れば、大寒の日といへども、猶温にて、凍ることなく、波を潜りて海をも渉さん。又刀劍(たちつるぎ)に塗るときは、(くろがね)()(つの)()くべし。試給へ、といひしとぞ。這信之の時よりして、刀鍛冶を活業(なりはひ)にしぬれば、件の人魚の膏油をもて、作る所の新刀に塗りて、鐵斫(くろがねきり)と名づけて是を()るに、果して其験ありければ、漸々に行はれて、家優にならまくせし時、惜しや膏油を用盡して、殘り二三合になりしかば、是をば兒孫に貽さんとて、則硝子(びいどろ)(とくり)に藏めて、其歳月を寫しゝを、

    「頭陀」は托鉢のこと、あるいは托鉢僧のこと。ズタ袋(ずだぶくろ。頭陀袋、杜多袋)は托鉢僧が首からかけていた袋が由来。

 赤岩一角の形見の短刀

  • 後に子の犬村大角が所持する

 伏姫自害の懐剣

  • 後に犬江親兵衛が所持する

    登時(そのとき)犬江親兵衛は、身甲(はらまき)股甲脛盾(こてすねあて)して、袴を高く(つまはさ)み、伏姫神授の短刀を腰に帶び、小月形の名刀を右手(めて)引提(ひきさげ)て、青侍們(わかざむらひら)に案内をせられ、

 小篠(おざさ)

  • 千葉自胤の家臣・栗飯原胤度が寛正4年(1463年)ごろ鎌倉で「落葉」とともに購入。自胤に献上したもの。柄の縁金が雪篠の図になっているため命名された。

    (この)小篠・落葉の兩刀は、千葉家相傳の東西(もの)にはあらず。寛正四五年の比にやありけん、件の栗飯原胤度(あいはらたねのり)が、鎌倉に使せし折、那地(かのち)にて購求めて、寡君(わがきみ)にまゐらせたり。(略)(たとへ)(かの)村雨の名刀の、拔けばその刀尖(きつさき)より、水氣(いづ)るといふに似たれば、小篠(をさゝ)落葉(おちば)と名づけらる。小篠は則刀の(ふち)※亶に瓦)に是金の雪篠あり。

  • なお小篠・落葉の両刀で「雪篠(ゆきざさ)」とも呼ばれる。

    莊介が𦝫刀(こしかたな)は、昔年(せきねん)栗飯原胤度が、篭山(こみやま)緣連(よりつら)に撃れし折、並四郎と舩虫が、馬加大記の密意を(うけ)て、奪畧(うばひとつ)逃亡(にげうせ)たる、小篠・落葉の名刀なり。又小文吾が帶たる刀は、庚申塚の法場(おきてのには)にて、犬飼現八が分捕したる、簸上社平が太刀なりき。現八これを莊介に與へしに、莊介は親の(かたみ)なる、雪篠(ゆきさゝ)の刀(卽小篠・落葉の兩刀なり)を得たりしかば、則これを信乃に譲りぬ。

 落葉(おちば)

  • 犬川家の重宝。もとは千葉自胤の家臣・栗飯原胤度が寛正4年(1463年)ごろに鎌倉で「小篠」とともに購入し、千葉自胤に献上した。
  • これで人を斬ると、秋でなくとも木の葉がぱらぱらと落ちてきたという。

    (この)小篠・落葉の兩刀は、千葉家相傳の東西(もの)にはあらず。寛正四五年の比にやありけん、件の栗飯原胤度(あいはらたねのり)が、鎌倉に使せし折、那地(かのち)にて購求めて、寡君(わがきみ)にまゐらせたり。(略)
    これをもて人を斫るときは、秋ならずともその四下(あたり)なる、木の葉おのづから落ることあり。

 八犬士の原点

  • なおこの八犬士の名については馬琴自身の創作ではなく、旧記から引いたものであると「八犬士伝序」で明かしており、現在は槇島昭武の「書言字考」から引いたものであるとされている。
  • 「書言字考」では下記となっており、馬琴の八犬士とは微妙に異なる。また同書はその氏名のみを載せており(僅足識其姓名)、その名を少しずつアレンジしながら物語を膨らませて組み立てていったことがわかる。

    里見八犬士 犬山道節。犬塚信濃。犬田豊後。犬坂上野。犬飼源八。犬川荘助。犬江新兵衛。犬村大学。

    「書言字考」では、同様のものとして「宇喜多(鵜北)六花士」、「尼子七馬士」、「吉見八谷党」、「尼子九牛士」、「大内十本杉党」、「尼子十勇十介」、「上杉十五山党」、「里見八犬士」、「朝倉十八村党」、「河野十八森党」の十種が掲載されている。

 原文など


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