保昌派
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保昌派(ほうしょうは)
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大和の国の刀工集団
大和五派のひとつ
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大和五派
- 平安時代後期以降、大和の国では「大和五派」と呼ばれる千手院、当麻(たいま)、尻懸、保昌、手掻一派が興った。
- このうち手掻は東大寺転害門に由来し、東大寺に隷属した刀工群が手掻派と呼ばれるようになったと推測されている。同様に千手院は東大寺、当麻は当麻寺に関係する。尻懸、保昌についてもいずれかの有力寺社に関係すると見られているが、明らかではない。
概要
- 保昌派は、保昌五郎貞宗および保昌五郎貞吉がもっとも高名である。
- 柾目肌(まさめはだ)を特徴とする。
- なお古書に系図が載るが、その関係ははっきりせず裏銘の年月を元に繋いだだけにすぎない。
国光[正応]─┬貞宗[文保]──貞真[暦応] │ ├貞吉[文保嘉暦]─┬貞光[貞治] │ ├貞行[貞治]──貞末[至徳] │ └貞村[貞治] │ ├貞清[元享]──貞興[貞治] │ └貞家[文保] ※[]内は活躍年代 ※諸説あり判然としない
保昌五郎国光
- 保昌派の祖とされる刀工。
- 「大和國住保昌五郎國光」
- 現存する作品は稀。
保昌五郎貞宗
- 貞宗は二字銘が多く、「保昌貞宗作」などとも切る。
- 短刀
- 銘「保昌貞宗作」重要美術品。長九寸二分八厘。平造り、庵棟、無反。表に素剣、裏に護摩箸。生ぶ中心。表に五字銘。目釘孔3個。橋本寅吉氏旧蔵
保昌五郎貞吉
- 単に「保昌五郎」というと、この貞吉を指す場合が多い。
- 銘は「藤原貞吉作」、「金吾藤貞吉」、「金吾藤原貞吉」、「大和國高市郡住人左衛門尉藤原貞吉入西法師作」などと切る。
系譜
末保昌
- 室町期以降の刀工を末保昌と呼ぶ。
国包
- 陸奥 山城大掾国包(仙台国包):大和保昌派の末流と称する。
保昌鍛冶の地
- 近鉄大阪線
真菅 駅の南に、式内大社宗我坐宗我都比古 神社がある。 - 蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀ったことを起源とし、かつては入鹿宮と呼ばれたという。
- この寺伝に「境内に一井泉あり、ありし昔は保昌鍛冶此水を汲んで淬刄に用ひたり」という。また、刀剣鑑定歌傳附録には「保昌五郎貞宗の住所は、高市郡曾我村の住人也。昔、曾我大臣居給ひし所也、曾我村の内に鍛冶屋口と云ひ、今に屋敷跡あり」ともいう。
現代の行政区画では、高市郡はこの真菅駅より南南東の方角、橿原神宮を超えて10kmほど離れた場所にある。しかし平安時代の延喜式によれば、高市郡の式内社として「宗我坐宗我都比古神社」が含まれている。恐らく保昌派の刀工たちは、現在でいう奈良県橿原市曽我町の北西角にあたる宗我都比古神社周辺に住したものと思われる。
関連項目
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