桑山保昌
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桑山保昌(くわやまほうしょう)
- 大和国の保昌派、保昌貞吉の作
- 大和保昌派は南都高市郡(奈良県高市郡)に住し、鎌倉時代中期の国光に始まる。その子が貞吉で、貞吉の作には、居住地、制作年を記したものが数口ある。
- 「金吾」は受領名を示しているが、受領したのは「左衛門尉」であり、正しくは左金吾校尉となる。
- 享保名物帳所載
桑山保昌五郎 長八寸五分 代五百貫 松平加賀守殿
桑山伊賀守殿所持、利常卿御求め、裏菖蒲樋
- 表に素剣、裏に菖蒲樋の彫り物。
- 現在は銘がやや読みづらく「高□□住金吾藤貞吉/□亨二二年甲子十月十八日」となっている。
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由来
- 桑山元晴の所持品であったことに由来する。
来歴
- 桑山元晴は大和御所藩2万6000石を領するが、元和6年(1620年)7月20日死去。子の貞晴も2ヶ月後に急死したため、末期養子が認められず大和御所藩は取り潰しとなる。
- その時売りに出したのか、前田利常がこれを購入した。
- 昭和6年(1931年)旧国宝指定。
- 戦後同家を出た。
- 昭和30年(1955年)2月2日に国宝指定。
- 昭和30年(1955年)には田口儀之助氏所持。
- 昭和41年(1966年)も松本高氏所持。
- 昭和55年(1980年)には松本高氏所持。※田口儀之助氏旧蔵
- 現存、個人蔵
これとは別に、異本に「桑山保昌 本多美濃守殿所持 九寸四分」というものもある。この本多美濃守とは伊勢桑名藩2代藩主で後に播磨姫路藩初代藩主となった本多忠政(従五位下、美濃守)のことという。
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