今荒波
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今荒波一文字(いまあらなみいちもんじ)
- 「今荒波一文字」、「今荒波則房」
- 片山一文字派、一文字則房の作(助房の子)
- 茎(なかご)に「一」とのみ切ったものであるが、片山一文字の則房によるものと伝えられている。
- 目釘孔2個。
- 詳註刀剣名物帳
一文字則房は備前福岡一文字一派高津右馬允と云ふ時代は正嘉頃多くは二字銘なり
- 目釘孔2個
由来
- 「今荒波」の号は、荒波のように躍動的な刃文によるものと考えられる。
- 「本阿弥光心押形」では、生ぶ中子で銘則房、二尺四寸程度と見られる。
来歴
- 「今川殿ニ」と書かれており、元は駿河の今川家所蔵であったとされる。
- 遅くとも江戸中期には井伊家所蔵であったと思われる。
- 井伊家において、拵が二度製作されている。
- 【一度目】:享保~安永ごろ。鉄地に荒波の地紋、色絵で舞鶴を表に5羽、裏に3羽あしらっている。彦根の彫金師藻柄子宗典作。
- 【二度目】:11代井伊直中の代。鍔は鉄地に波の丸、目貫は赤銅地で表に「波」「荒」の文字、裏に「一文字」の文字。小柄には「大織冠鎌足之苗」、笄に「湖東金亀城主」の文字が入っていた。
- その後、井伊家の第15代当主井伊直忠伯爵より明治天皇に献上されたとみられる。
- 現存、東京国立博物館所蔵
喜連川家重代の今荒波
- 喜連川家重代の一文字の太刀。
喜連川家は小弓公方系足利氏
「荒波一文字」
- かつて「荒波一文字」という似た号の一文字が存在した。
- 享保名物帳の「荒波一文字に似たる道具故」というのは、それとの重複を避けるため「"今"荒波」と名付くいう意味である。
- この「荒波一文字」 は、元禄3年(1690年)ごろまでは記載があるが、その後享保ごろには行方がわからなくなっている。
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