ソボロ助広(刀工)
※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。
ソボロ助広(そぼろすけひろ)
Table of Contents |
|
初代摂州住藤原助広
- 津田助広、「ソボロ助広」
- 播州津田出身
- 通称弥兵衛。
- 播州津田の数打ち師。
- 水戸斉昭の供回りに「播州住藤原助広」と在銘の刀を持っているものがいた。神田祭の時に藩主の行列に無礼を働いたとして、町人十数人を斬ったが、すごい切れ味であったという。
- のち大阪にでて、初代河内守国助の門人となる。
- 晩年に越前守を受領する。
- 銘は、「摂州住藤原助廣」と切る。「摂州住」が小さく、「藤原助廣」と下に行くに連れ大きくなる。
ソボロの由来
- 「そ本ろ(そぼろ)」と添え銘が入るためにソボロ助広と呼ばれる。
- 「ソボロ」の由来としては諸説あるが、真実は定かではない。
- 助広や家族すべてが、服装にかまわずいつもボロをまとっていたため。総襤褸。文化ごろから江戸では助広を差し料にすると貧乏になるという迷信さえあった。
- 古鉄の沸かし技法の一種
- 摂津の「ソホロ小路」に住んでいたため。「於大坂そぼろ」と切った銘がある。このそぼろを「草廬ニ於テ」と読み、自らの住居を謙遜しているともいう。
- そぼろ髪:そほろとは乱れ髪のことだともいう。
- 助広が隠れキリシタンで、聖パウロ→祖ボーロ→そぼろと転化した。
- 凄まじい切れ味を比喩する言葉である。「凄哉此一剱甲度々割」と添銘のある刀がある。また「草露」「霜露」をそほろと読む説などもある
系譜
二代:津田越前守助広
- 津田助広は、二代目に津田越前守助広がいる。
- 大坂新刀の代表工であり、新刀屈指の巨匠とされる。一説に生涯に1700点あまりの作品を残したとされ、江戸の虎徹とともに新刀の横綱ともされ、また同じく大坂の井上真改とともに最高の評価がなされている。
- 詳細は「津田越前守助広」の項参照
津田助直
- 近江國野洲郡高木村出身。
- 通称孫太夫
- 大坂にでて初代助広に入門。
- のち、娘婿になる。
- 寛文9年(1669年)受領近江大掾と切るがすぐに近江守に改める。
- 天和2年(1682年)より津田姓を名乗る。
- 銘は、二代助広に倣って近衛流の草書体で切る。はじめ「近江國住助直」、「津田近江守助直」「近江守高木住津田」
助高
- 二代助広門弟の助宗の弟。のち備後に住す
- 「摂津住助高」「備後福山住助高」
照廣
- 二代助広の弟という。
- 銘「津田越前守照廣」
若狭守源廣政
- 二代助広門弟。
- 天和ごろ。
助宗
- 「摂州住助宗」
- 二代助広門弟
Amazonファミリー無料体験