井上真改(刀工)


※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。

OFUSEで応援を送る

 井上真改(いのうえしんかい)

江戸時代前期の刀工
大坂新刀を代表する
真改国貞

Table of Contents

 概要

  • 俗に「大坂正宗」などとも呼ばれ、現在重要文化財に指定されている刀と太刀がある(現在、江戸期に製作された刀に国宝指定は無い)。
  • 同銘を切った父と区別するため、初代和泉守国貞の作を「親国貞」、井上真改の作を「真改国貞」とも呼ぶ。
    井上良光──和泉守国貞(親国貞)──井上真改(真改国貞)

 生涯

  • 寛永7年、刀工であった井上国貞(和泉守国貞)の次男として、日向国木花村木崎にて生まれる。
  • 本名は井上八郎兵衛良次(良明)。
  • 9歳で京都にいた父のもとに赴き鍛刀を学ぶ。
  • 20歳ごろには盛んに父の代作を打ったという。
  • 慶安5年(1652年)、父の死去に伴い24歳で「国貞」襲名。父同様に飫肥藩伊東家に仕え、150石を与えられる。
  • 同年中の承応元年(1652年)5月13日、25歳の時に藩主の命により「和泉守」を受領し、銘を「和泉守国貞」と切る。
  • そのころから藩主の命がなければ注文に応じない「御止め鍛冶」となったため、真改銘の遺作は少ない。
  • 天和2年(1682年)11月9日、急死。一説には酔って井戸に落ち溺死したという。大阪市東區谷町八丁目の重願寺に葬られた。

    予(鎌田魚妙)若年の頃、平安城研師井上彦兵衛と云者に聞きしに、真改過酒して夜中井に臨み水を汲み、過つて溺死すと云、彦兵衛が父は真改が斷金の友且つ彼が研師也

    井上和泉守眞改國貞姓藤原後號眞改、父國貞日向伊東家士人也、入明寿門學鍛刀法、眞改住浪華為人正眞豪邁鍛法勝父、世稱大阪正宗、實慶長後一人名手也、爭重寶之子良忠次國貞、亦能不墜父祖家聲門人亦盡出群之才也、歿後百五十年、傷古碑刻缺就好事家謀、新勒碑文建傍以附追遠之義云
          巽所八木迪撰 北條恭書
     
    天保二辛卯十一月九日刀劍(商家工匠好愛諸氏)建之

  • 寺はのち東大阪市山手町に移転し、真改の墓も同所に移された。

 

  • 銘は壮年期まで「国貞」を用い、晩年「真改」と切る。ただし真改を名乗った時期は「御止め鍛冶」となっており、作刀は少ない。
  • はじめ「和泉掾藤原國貞」、明暦二年ごろ受領後は「和泉守國貞」と切った。
  • 万治4年(1658年)朝廷に作品を献上したところ賞賛され、十六葉菊花紋をなかごに入れることを許される。
    • 初期の作品では菊紋の中心が格子になっており、寛文4年以降は丸点菊に変わる。延宝ごろから再び格子菊に戻っている。
  • 寛文元年(1661年)より銘を「井上和泉守国貞」とした。
  • 寛文12年(1672年)8月より、儒者の熊沢蕃山に「刀鍛冶が一国の太守を名乗るとは分不相応ではないか?」と諭されたことを受け、蕃山の命名で「真改」と改称。銘も「井上真改」と切るようになった。

}}}}

 著名作

 重要文化財

銘「井上真改/菊紋 延宝二二年八月日」長69.7cm、反り1.8cm。目釘孔1個。表の目釘孔の下棟寄りに四字銘、裏に年紀銘が入る。昭和32年(1957年)2月19日重要文化財指定。個人蔵
太刀
銘「井上真改」長69.7cm、反り1.8cm。目釘孔1個。岡山藩主池田綱政が延宝6年(1678年)に吉備津彦神社に奉納したもの。糸巻太刀拵が附く。大正元年(1912年)2月8日旧国宝指定(重要文化財)指定。吉備津彦神社所蔵。岡山県立博物館保管

 その他

「丙辰真改」
刃長二尺二寸九分。銘「井上真改」「(菊紋)延宝四年八月日」
銘「井上真改/延宝三年八月日」昭和14年(1939年)9月6日重要美術品指定、住吉朝太郎氏所持。
銘「井上真改/延宝四年八月日」昭和13年(1938年)9月6日重要美術品指定、足立康継氏所持(石田延茂氏旧蔵)。
銘「井上真改/延宝五年八月日」昭和16年(1941年)4月9日重要美術品指定、伊藤文一氏所持。
銘「井上真改/延宝六年八月日」昭和16年(1941年)4月9日重要美術品指定。三矢隆夫氏所持。
籠釣瓶
 
「尾戸茶碗」
 
「山ならば富士」
 
「臥竜剣」
 


 系譜

 初代和泉守国貞

  • 井上真改の父
  • 真改も壮年期まで「国貞」銘を切ったため、区別するためにこの初代和泉守国貞を「親国貞」と呼ぶ。


 三代国貞

  • 通称門平、門兵衛。のち団右衛門(弾右衛門)。
  • 良忠、奇峯と号す。
  • 団右衛門国貞と呼ばれる。
  • 銘「和泉守国貞」「井上和泉守国貞」「井上良忠」十六弁の八重菊紋を差表銘の上に彫る。
  • 真改の死後帰郷し、飫肥城下の鳥居下に住した。
  • 注文があれば打っていたが、遺作は極めて少ない。
  • 宝永3年(1706年)9月、57歳で没。

 四代国貞

  • 河崎甚左衛門の子で、三代国貞の養子となった。
  • 門平と称す。

 門人

 貞則(さだのり)

  • 初代井上真改の門弟。
  • 銘は鈴木加賀守貞則と切る。
  • 肥後の生まれ。のち奥州岩城に下向。

 貞次(さだつぐ)

  • 加賀守貞則の弟。
  • 銘は伊賀守藤原貞次と切る。

 治国(はるくに)

  • 通称惣兵衛。
  • 銘は「八幡北窗治国」と切る。摂州住八幡北窗治国とも切り、摂津の住人とされる。若くして病没し、遺作が少ないのをいいことに偽作が多い。

 土肥真了

  • 肥前刀工
  • 初代は松浦家お抱えの刀工だったが、延宝8年(1680年)に大坂に上り井上真改に師事し、天和2年(1682年)に肥前に戻った。
  • 以後4代ほど続く。

 國平

  • 姓は川崎氏。
  • 通称作兵衛。
  • 初代井上真改の門弟。
  • 銘は「國平造」「藤原國平」と切る。

 國虎

  • 姓は根本氏。磐城の生まれで、元禄ごろ。
  • 初代井上真改門弟。
  • 銘は「和泉守藤原國虎」と打ち菊紋を切る。
  • 二代根本和泉守國虎:寛永ごろ

Amazon Prime Student6ヶ月間無料体験