鯰尾藤四郎


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 鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう)

脇差(薙刀直し)
吉光
名物 鯰尾藤四郎
1尺2寸7分(38.5cm)
焼身
徳川美術館所蔵

  • 小薙刀を磨上げ、脇差に直したもの。
  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    鯰尾藤四郎 裏ニ銘有長一尺二寸八分 無代 御物
    長刀樋添樋コレ有、打チノケ多、大坂ノ御物ナリ

  • 初め一尺二寸九分、のち一尺二寸八分。焼き直しにより一尺二寸七分となっている。
  • 薙刀直しで、上は菖蒲造り、下には薙刀樋と添え樋がある。真の棟。鋩子小丸。中心磨上、中心先を一文字に切る。目釘孔2個。差表に「吉光」二字銘
  • 鞘書き

    仁弐ノ四 名物鯰尾吉光御中脇指 銘有長壱尺弐寸八分

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 由来

  • 鯰の尾を連想させる”ふくら”がふっくらした姿から「鯰尾」の異名を持つ。

 来歴

 織田信雄

  • もとは織田信雄が所持していたもの。

 秀吉

  • 天正12年(1584年)小牧長久手の際に、信雄の重臣岡田重孝ら3家老を内通の疑いで斬っている。土方勝久にこの鯰尾で切らせており、のち土方は秀吉に仕えたため秀吉に伝わる。

    一之箱 なます尾藤四郎
    以上三拾壱之内、御刀拾六腰、御脇指拾五腰但なまつ尾も御刀之内に入
    豊臣家御腰物帳

 秀頼

  • のち豊臣秀頼に伝わり好んで差したとみえ、埋忠寿斎に二度も拵えを直させている。
  • 光徳押形

    長一尺二寸八分半、御さし用、秀頼様相口拵両度寿斎仕候

 家康

  • 大坂夏の陣で大坂城落城の際に焼けてしまう。
  • 惜しんだ家康が初代越前康継に焼き直しさせている。
  • 家康死後に御分物として尾張徳川家に伝わった。

    御脇差(大坂焼物) なます尾藤四郎
    駿府御分物刀剣元帳

 尾張徳川家

  • その後は尾張徳川家に伝来

    なます尾作 吉光 白鞘斗有 大坂焼物
    (慶安四卯三月廿六日 御殿守ニ有之 御腰物御脇指帳)

    鯰尾吉光 吉光御脇差 鯰の尾と云 在銘 中身 反り中 長サ一尺二寸七分半 長刀樋あり 御天守の内

  • 現存し徳川黎明会所蔵、徳川美術館で保管・展示されている。

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