曜変天目

曜変天目(ようへんてんもく)  

天目茶碗のうち最上級とされるもの
耀変

  • 2016年12月20日のTV東京系「開運!なんでも鑑定団」で4点目となる曜変天目が出品された。→三好家伝来
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概要  

曜変とは  

「曜変」とは、「星の輝き、瞬き」を意味する。

曜変天目は漆黒の器であり、茶碗の内側には星の様にもみえる大小の斑文が散らばっており、その斑文の周囲は藍色や青色になっており、見る角度によって光彩が虹色に輝くことから「器の中に宇宙が見える」とも評される。

土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。
名物目利聞書)

曜変、建盞の内の無上也、世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。
黑紺地中に紺碧の光を放てる星紋羅列し、色彩變幻するに因りて、此名を得たるならん。
君台観左右帳記

「曜変」の初出  

中国では天目形の茶碗自体「天目茶碗」と呼ばず、「曜変」もまた日本で付けられた呼び名であり、室町時代の「能阿相伝集」が初出とされる。

曜変、天下に稀なる物也。薬の色如豹皮建盞の内の上々也(能阿相伝集)

茶会記での登場  

  • 天王寺屋宗久や今井宗久が残した茶会記録にも登場する。
  • 松屋筆記

    天文十一年卯月六日  堺油屋浄玄會 曜變

  • 津田宗及日記

    天文十八年正月七日  池永三郎兵會 曜變
    天文十八年二月廿一日 宗三會 曜變
    天文二十年八月六日  堺道會 曜變 中に星あり前は木戸脇にあり
    天文廿一年十月十五日 千宗休會 曜變
    永禄二年十一月六日  樋口屋紹札會 ようへん
    永禄二年十二月廿六日 藥師院會 ようへん
    元禄三年二月廿三日  伊達油屋常佐會 ようへん
    天正六年正月十日   宮内卿法印會 ヨウヘン

  • 今井宗久日記

    天正八年十月十一日  三好山城守會 ヨウヘン

製法の謎  

曜変茶碗は南宋の時代、福建省建窯でごくわずかに作られた茶碗で、その後二度と焼かれることもなく完全な形のものとしては世界中で日本に数点しか現存しない

2012年、中国浙江省の杭州の工場跡地から破損した状態の曜変天目茶碗が発掘された。砕かれた状態になっており、修復されたものの4分の1ほどが欠けている。

この曜変天目茶碗はその製法が伝わっておらず、どのようにして作ったのかが21世紀の現在も不明なままである。またなぜ中国に完全形の曜変天目が残らなかったかについても確かではない。

これまで幾多の陶芸家が曜変天目の再現を試みてきたが、完全なるものはいまだ作られていない。とくに茶碗の内側に点在する斑文については、どのような条件で発生するかが特定できておらず、予め重金属を手作業で塗布することにより再現を試みる場合もある。ただし中国で発見された破片および藤田美術館所蔵品の分析からは、窯の中で酸素ガスが噴霧されることにより偶発的に発生したものである可能性が高いことが明らかとなった。

現存  

日本に3点あり、すべてが国宝に指定される。

国宝指定を受ける茶碗は8点のみ。天目茶碗だけで5点を占める。種類別ではうち曜変天目茶碗の3点が最大で、残りは油滴天目茶碗1点、玳玻天目茶碗1点。

静嘉堂文庫 

曜変天目茶碗
高6.8cm 口径12.0cm 高台径3.8cm
国宝
静嘉堂文庫美術館所蔵

  • 本能寺の変で失われたものを除けば古来最も優れるとされる。

    曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり、茶碗四寸五分位、高臺ちひさし、土味黒く、薬たち黒く、粒々と銀虫喰塗の如くなるうちに、四五分位丸みにて鼈甲紋有之、めぐりはかな気にて見事なり、星の輝くが如し。(名物目利聞書)

  • 徳川将軍家→稲葉家→小野哲郎→岩崎小弥太→静嘉堂文庫
  • 昭和16年(1941年)7月3日旧国宝指定
  • 昭和26年(1951年)6月9日新国宝指定、財団法人静嘉堂蔵
  • 現在は静嘉堂文庫所蔵

藤田美術館蔵  

曜変天目茶碗
高6.8cm 口径13.6cm 高台径3.6cm
国宝
藤田美術館所蔵

  • 柳営御物、のち水戸徳川家伝来。

    水府公御物
    曜變御天目 高二寸二分、指渡し四寸一分、高臺指渡し一寸一分、高臺高さ一分半
    右御天目臺共に、東照宮様、水府黄門源頼房卿へ被進候、歴世御直封之御家寶
    (諸家名器集)

  • 徳川家康→徳川頼房→水戸家代々→藤田伝三郎→藤田平太郎(伝三郎長男)→藤田美術館蔵(水戸徳川家伝来)

大徳寺龍光院蔵  

曜変天目茶碗
高6.6cm 口径12.1cm 高台径3.8cm
国宝
大徳寺龍光院所蔵(京都)

  • 外箱書付

    外箱 桐 蔀蓋 箱上環付
    蔀蓋表書付 江月和尚
    曜變天目

  • 明治41年(1908年)4月23日旧国宝指定
  • 昭和26年(1951年)6月9日新国宝指定、龍光院蔵
  • ※通常非公開であり、公開されることはほぼない。




その他  

歴史書などで曜変天目とされる茶碗は他にもいくつか存在する。

ただし「曜変天目」であるかどうかについては議論の分かれるところであり、「油滴天目」だという指摘もあり定まっていない。

徳川美術館 

曜変天目(油滴天目

  • 油屋常祐(あぶらやじょうゆう)をはじめ堺の町衆から徳川家康に伝わり、のち尾張家初代義直と伝来した。

    曜變天目 堺 油屋浄祐所持(外箱 春慶塗金粉字形)

    曜變 堺の分 油屋常左(天正名物記)

  • のち尾張徳川家に伝来する。

    ようへん 堺油屋浄祐所持 尾張様(玩貨名物記)

根津美術館蔵  

曜変天目
高6.7㎝ 口径11.8㎝ 底径3.9㎝
重要美術品
根津美術館所蔵

  • 加賀前田家伝来。

    ようへん 松平肥前殿(玩貨名物記)

    ようへん 松平肥前守(古今名物類聚

    曜變 七番 土味白、釉薬内外同質、星内外共に一方は蜜、一方は疎、内部僅に拭疵あり、茶溜針痕、高弐寸弐分五厘、口徑四寸、香臺徑壹寸参分、重量七十三匁五分。
    (前田侯爵家道具帳)

  • 萌黄地古金金襴小牡丹一重蔓裏損緒つがり茶

  • 内箱

    蓋銀溜 金粉梨子地 内金銀平目
    曜變 書付小堀遠州

  • 内箱の蓋表に「曜変」と小堀遠州の筆になる金粉字形の書付があるが、むしろ油滴天目と分類されるべきとの見方もある。
  • 現在は根津美術館所蔵

MIHO MUSEUM蔵  

曜変天目茶碗
高7.1cm 口径12.4cm 高台径3.9cm
重要文化財
秀明文化財団所蔵

  • 加賀藩主前田家伝来。
    前田家には曜変天目が2つ伝来し、うち1点は現在根津美術館所蔵となっている。
  • 明治から昭和の作家大佛次郎が所持していたもの。
  • 昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定
  • 現在はMIHO MUSEUM所蔵。
    この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論があり、「油滴天目ではないか」とする意見もある。


三好家伝来  

  • 2016年12月20日のTV東京系「開運!なんでも鑑定団」で4点目となる曜変天目が出品された。
  • 徳島県在住の依頼人の曽祖父が、かつて三好長慶子孫の屋敷の移築を請け負った際に大枚を叩いて購入したものとのこと。

    漆黒の地肌に青みを帯びた虹のような虹彩がむらむらと湧き上がっており、まるで宇宙の星雲をみるよう。鉄分をかなり多く含んだ土を焼き締めてあるので石のように硬い。それを丁寧に真ん丸に削り出した蛇の目高台。これは国宝稲葉天目」の高台とほぼ同じ。高台の真ん中に「供御」という二文字が彫ってあるが、これはかつては天皇や上皇に差し上げる食事のための容器であったことを表した。ところが時代が下り、室町時代になると将軍が使うものにも「供御」と彫るようになった。裂や曲げ物の容器、そして三好家の系図がついているが、これらによって室町幕府第13代将軍足利義輝を頂いて権勢を奮った三好長慶が、足利家から取得した東山御物の一碗であることは間違いない。
    天目茶碗|開運!なんでも鑑定団|テレビ東京

  • なお番組中では、伝来の経緯を示す証となるものや伝来を記したものなどは示されなかった。
  • 中島誠之助氏の鑑定結果は「本物」で、評価額は2500万円。
    あくまで中島誠之助氏の鑑定結果であり、他の鑑定家の意見などは提示されていない。




  • 以下は、三好家伝来の曜変天目についてのメモ書き
    鑑定団出品のものがこの伝来品かどうかについては、現時点では情報が不足しておりよくわからない。そもそも長慶ではなく(堺の木戸脇から)宗三を経て実休に伝わったのではないかと思われる。
  • 天王寺屋会記」の天文18年(1549年)の三好宗三會で曜変天目が登場する。

    同二月十一日朝 宗三御會
           人數  紹鴎 達(天王寺屋宗達) 江州源六
    一、床 船 つりて 天目ようへん 貝臺 船之花 金仙花
    天王寺屋会記

    この頃既に、三好政長(宗三)は宗家である三好長慶と対立を強めており、前年末に政長の拠点である河内十七箇所へ進軍し三好政勝の篭もる榎並城を包囲している。6月には摂津江口城において激突し、討ち死にしている。宗三が所持していた道具は三好宗家に移ったものとみられる。

  • 同じ「天王寺屋会記」の天文20年(1551年)に登場。

    同八月六日朝 垪道會 人數 達 好 宗可宿ニテ
    一、天目 ようへん也 うちほし有 前ハ木戸脇ニ在 其後宗三ニ在

    同十月二日晩 垪道會 人數 達 可
    一、天目 ようへん也 茶之口切ニて
     右此壺 じやかつ藥(蛇蝎薬)うへにアリ 口付能候 總ノ藥あめ色也 土もよし うすゝとしたるしゆアリ 一方ヨリ出候也 茶九文目入 壺ハ十九文めアリ 合廿八文め也

    堺の町々の入口に設けられていた木戸があり、この木戸の脇に住んでいた富家が「木戸脇」と呼ばれたといい、木戸彌三左衛門同人であるともいう。つまり、元はこの木戸脇なる人物所持のものが宗三に渡ったという来歴を記している。後半の文目とは匁(重量)のこと。

  • 「今井宗久日記」の天正8年(1580年)

    天正八年十月十一日 三好山城守會 ヨウヘン(今井宗久日記)

    三好山城守は三好康長(笑岩入道)のこと。これが上記宗三が所持したものと同物かは不明。

  • 「唐物凡数」に採録されている「仙茶集」に永禄~天正期の諸国の名物が記されており、そこに同物と思しき三好家所蔵の曜変天目が登場する。

      阿波分
    一、周光茶碗
    一、曜変ノ天目

    同時に記される「一、周光茶碗」とは珠光茶碗であるとされ、これはもと村田珠光が所持していたものを千利休が入手し、それを三好実休が千貫で購入し、のち信長が入手する。信長はこれを天正4年(1576年)安土城築城の褒美としていったんは普請奉行であった丹羽長秀に与えるが、後に惜しくなったのか取り上げ、代わりに「鉋切長光」を与えている。さらに後、本能寺の変直前には嶋井宗室(宗叱)を正客として茶器を披露しており、その38点の中にこの珠光茶碗も含まれる。
     ちなみに「阿波分」の次には「アタキ」と記された人物がおり、ここには「松本茶碗」が記されている。この松本茶碗とは大内氏が所持していたもので、のち安宅冬康を経て、堺の住吉屋宗無(松永弾正の子という)から五千貫で信長に購入され、こちらも本能寺で焼けたという。これらのことから、曜変天目茶碗が永禄~天正年間に阿波三好家(当時の当主は実休)に存在した可能性は髙い。

    また現在徳川美術館蔵の「油屋天目」と呼ばれる曜変天目についても、「紹左」という人物名で「ヨウヘン」と記されており、これは油屋紹佐と見られる。なお新田肩衝が「豊後御屋形宗麟」の所持となっており、これは本能寺の際には安土城に残していたため明智方の手に渡り、その後大友宗麟に渡り、天正13年(1585年)に秀吉に召し上げられたものである。


失われた曜変天目  

上記3点しか現存しない曜変天目茶碗だが、記録によれば過去にもう一点存在したという。

足利義政から織田信長に伝わり、本能寺の変で焼失してしまった。日本に伝わった曜変天目のうち最上級であったとされるが、確認するすべはない。

曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり(名物目利聞書)

  • かつて東山御物で信長に伝来した曜変天目については本能寺で焼失してしまったために、残るものの中では稲葉丹州公所蔵(現在は静嘉堂文庫蔵)のものに比類するものはないといっている。


大正名器 

曜變  

小野哲郎氏蔵
大名物国宝稲葉天目
  • 徳川将軍家→稲葉家→小野哲郎→岩崎小弥太→静嘉堂文庫
藤田平太郎氏蔵
大名物国宝水戸天目
  • 徳川家康→徳川頼房→水戸家代々→藤田伝三郎→藤田平太郎(伝三郎長男)→藤田美術館蔵(水戸徳川家伝来)
龍光院蔵
大名物国宝龍光院天目
徳川義親氏蔵
大名物重要文化財「油屋天目」
  • 樋口屋紹札→油屋紹佐→油屋常祐→徳川家康→徳川義直→尾張家代々→徳川美術館

    永禄の頃樋口屋紹札所持にして、永禄十二年の頃油屋肩衝の所持者たる本姓伊達、油屋常佐に傳はる。(略)其後徳川幕府の御物道具となり、更に尾州家に傳はりて今日に及べり。

酒井忠正氏蔵
名物「酒井天目」
  • 内箱片桐石州書付「ヨウヘン 天目」。姫路酒井家伝来、伯爵酒井忠正

    古来姫路酒井家の所蔵なりしが、明治四年大阪伏見町にて同家が八十一點の茶器類を入札に附せられしとき、十六點親引となりしものゝ一つなり。

前田利為氏蔵
名物重要美術品「加賀天目」
  • 内箱小堀遠州書付「曜變」。前田侯爵家道具帳 曜變七番。
  • 加賀前田家伝来→侯爵前田利為→根津嘉一郎→根津美術館蔵。

    大正九年四月十六日、東京市本郷區本富士町前田利為邸に於て實見す。
    覆輪なし、光澤ある黑釉の上に油滴星紋、内部は蜜に外部は稍疎に現はる、星中靑貝の如き紺碧色彩日光に映じて變幻せり、外部一面轆轤目緩く繞り、裾釉溜稍厚く、土際高低略ぼ同一にして、以下鐵氣色の土を見せ、高臺蛇の目形を成す、内部見込に於て光澤殊に麗しけれども、度々使用したる者と覺しく、細き摺れ疵縱橫せり。曜變天目としては、星紋極めて小さく、彼の梅鉢様の大星紋を見ず、尾州徳川家所蔵油屋所持曜變天目と略ぼ同様にして、最初彼の天目を見たる時は、油滴に非ずやと思はれしが、今度此曜變を見るに及んで、曜變にも亦此種類ある事を會得せり。口緣一部疵繕ひあり。

油滴  

酒井忠道氏蔵
大名物国宝
  • 江月宗玩所持→秀次→西本願寺→三井八郎右衛門家→小浜酒井家伝来→伯爵酒井忠道→安宅英一→住友→東洋陶磁美術館蔵

    秀次公御所持、聚楽道具の内、西本願寺に有之品、其後三井八郎右衛門所持、同人より納。紅菊杭は遠州所持之品、八郎右衛門方にて添置もの也

井上勝之助氏蔵
名物
  • 小堀宗慶書付「油滴天目」、芙蓉台
  • 小堀遠州→藤田伝三郎→井上世外(井上馨)→侯爵井上勝之助→益田鈍翁→梅沢家→梅沢美術館蔵

    元小堀遠州所持にして、寛永十三年五月将軍家光品川御殿山に於ける遠州茶席に臨まれし時、出陳せられたるものなりといふ。其後小堀家より出でゝ諸所を輾傳し、大阪藤田傳三郎氏之を求めて後井上世外侯に譲與せられしとなり。

松平直亮氏蔵
大名物重要文化財
  • 千利休書付「ゆてき 天目」、松平不昧書付「油滴 天目」、千利休在判尼崎台
  • 古田織部→土井大炊頭利勝→木下長保→松平不昧→伯爵松平直亮

    古田織部所持にして土井大炊頭利勝に傳はり、其後豊後日出の城主木下和泉守長保の有と為り、夫より江戸道具商伏見屋取次ぎ、七十兩にて松平不昧公に納まる。公は之を喜左衛門井戸玳皮盞等と共に、大名物之部に列し、永々大切にすべく嗣子出羽守斎恒に遺訓せり。大正六年四月三十日、松江市不昧公百年忌展覧會に出陳せらる。

藤田徳次郎氏蔵
重要文化財
  • 青貝市松模様台、内箱味杏堂書付「油滴天目 東山殿御物 味杏堂」
  • 東山御物→道正庵味杏堂→藤田伝三郎→藤田徳次郎(伝三郎次男)→藤田美術館蔵

    享保の頃京都道正庵主に味杏堂と云へる者あり、多く名器を蔵して茶事を好み、或る時近衛大豫樂院公(近衛家熙)を請じて茶會を催うせる事、山科道安著槐記に載せたり、今日にても世間に道正庵傳来と称する道具少なからず、此油滴天目も亦其一にして、是れは藤田家が直接道正庵より譲受られたる者なりとぞ。

龍光院蔵
中興名物重要文化財

関連項目