星月夜正宗
※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。
星月夜正宗(ほしづきよまさむね)
脇差
大磨上無銘
正宗極め
一尺九寸四分
由来
- 刃紋が大互の目乱れで、砂流しかかり打ちのけ金筋などが多く、夜空の星を見るがごとくであったために名付けられたという。
来歴
足利将軍家
- もとは足利将軍家所蔵。
右室町氏光源公(足利義輝)将府の所蔵也、
武田家
- 永禄年間に武田信玄が足利義輝より拝領したと伝わる。
正宗 無銘 添状代五千貫 長サ一尺九寸四分
右室町氏光源公(足利義輝)将府の所蔵也、永禄中賜請甲斐守護源晴信(武田信玄)、至于後年幕府(東照公)授之上野介殿素號曰星月夜、無知其所以名、按以波間有若星辰陳列之状者之故乎、叉稱上野介殿者、蓋上野介殿之筆誤乎、雖然古文書之所傳不可妄改之、今暫従其本書云
家康
- 武田家滅亡後に家康が入手。
松平忠輝
- 家康はこれを六男の松平忠輝(上野介)に与えるが、元和2年(1616年)7月忠輝が流罪になった後に将軍家に戻る。
水戸家
- 家康十一男の水戸家頼房が拝領し、以来水戸家德川家に伝来する。
- 8代藩主徳川斉脩が文政6年(1823年)に編纂した「武庫刀纂」所載。
正宗、無銘、添状代五千貫、長サ一尺九寸四分、鎺元一寸、横手下八分三厘、厚サ一分八厘、反リ三分餘、棒樋表裏有
- 9代藩主の德川斉昭まで伝わる。
土屋家
- ここから土屋家に伝来するが、幾つかの説があり判然としない。
- 斉昭から従兄弟の土屋寅直へ
- 斉昭から子の土屋挙直へ
- 斉昭から子の池田慶徳に伝わり、そこから慶徳弟の土屋挙直へ
- 以下各説の詳細。
- 万延元年(1860年)8月、水戸の徳川斉昭が薨去、その形見分けで従兄弟にあたる土屋寅直に贈られた。
徳川治保─┬徳川治紀─┬徳川斉脩 ┌徳川慶喜 │ ├松平頼恕 ├徳川昭武 │ ├徳川斉昭──┼池田茂政 │ └松平頼筠 ├池田慶徳 │ └土屋挙直 ├松平義和 ↓ └土屋彦直─┬土屋寅直━━━土屋挙直 └戸田氏範
この場合、斉昭から従兄弟の土屋寅直へということになる。
- あるいは斉昭の死後、岡山藩主池田茂政、鳥取藩主池田慶徳などの兄弟が集まり形見分けをした。この時みな正宗を所望したため兄弟3人で分けることとなり、土屋家は武田家臣の流れということで「星月夜」をもらったという。
この場合、父斉昭から、子の土屋挙直にということになる。
- さらに、斉昭の5男で因幡国鳥取藩12代藩主となった池田慶徳へと伝わり、その遺物として実弟にあたる土屋挙直(斉昭の17男、常陸土浦藩11代藩主)に贈ったともいう。
この場合、一度斉昭から子の池田慶徳に伝わり、そこからさらに実弟の土屋挙直へと伝わったということになる。池田慶徳は明治10年(1877年)8月没。土屋寅直は慶応4年(1868年)に家督を譲って隠居、土屋挙直は明治25年(1892年)没。
- このように伝来が混乱しているが、土屋挙直は土屋寅直の養子となって継いでいるため、いずれにしろこの2代の間(1860年~1880年ごろ)に土屋家に伝わったということになる。
参考)徳川斉昭の系譜 徳川斉昭 正室:登美宮吉子 長男:慶篤 (水戸藩10代) 次男:早世 七男:慶喜(一橋当主、15代将軍) 側室:直 四男:早世 八男:松平直侯(川越藩主6代) 十男:松平武聰(石見浜田藩4代) 十三男:早世 側室:貞子 三男:早世 五男:池田慶徳(因幡鳥取藩12代) 九男:池田茂政(備前岡山藩9代) 十二男:早世 側室:登聞 六男:早世 側室:利子 十一男:喜連川縄氏(下野喜連川藩11代) 側室:睦子 十四男:松平昭訓 十七男:土屋挙直(常陸土浦藩11代) 十八男:徳川昭武(清水家当主、水戸藩11代) 二十二男:松平頼之(陸奥守山藩7代) 側室:徳子 十五男:早世 十六男:松平忠和(肥前島原藩8代) 二十一男:早世 側室:悦子 十九男:松平喜徳(会津松平10代、森山松平9代)
Amazonファミリー無料体験