見返り元重


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 見返り元重(みかえりもとしげ)


折返銘 備前国長船住元重
刃長二尺三寸一分五厘
重要文化財
株式会社ブレストシーブ所蔵

  • 備前長船元重の刀。
  • 中心に折り返し銘で「備前国長船住元重」。それに長い金象嵌が入る

    見返 昔某氏斬人其人顧後而為二依名之/元禄二巳夏熊本矦所贈於養卅公今茲明治元辰秋授 臣菅実秀忠篤

  • 鎬造り、大磨上。反り浅く中峰となる。大磨上のため、元あった銘を折り返して残す「折り返し銘」になっている。

 由来

  • これで斬られたものが、後ろを振り返ったところで二つになったため名づけたという。

 来歴

  • もとは肥後熊本の細川家所蔵。
  • 銘にある「養世公」は出羽庄内藩3代藩主酒井忠義のことで、細川家から贈られたとする。
    • ただし酒井忠義は天和元年(1681年)11月7日に死んでいる。そのため元禄2年(1689年)に熊本細川家から贈られたとするのはおかしい。
    • 忠義嫡子の酒井忠真(庄内藩4代藩主)の正室は、肥後熊本藩3代藩主である細川綱利の三女密姫である。この婚姻の縁で贈られたと見るのが正しいと思われる。
      密姫の母は徳川頼房の娘犬姫であり、密姫は水戸光圀の孫娘にあたる。
  • 酒井忠篤は出羽庄内藩の最後の藩主で、この「見返り元重」を家臣の菅実秀(すげ さねひで)に与えた。
    菅実秀は出羽庄内藩士。戊辰戦争後の敗戦処理に手腕を発揮し中老に任じられる。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたことを知り、以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。大泉藩権大参事、酒田県権参事を歴任。晩年に「南洲翁遺訓」を刊行した。この関係で、鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市となっている。
    菅家は菅原道真の9番目の子供の子孫にあたり、山形県鶴岡市に残る遠州流の名園である「菅家庭園」には、菅原道真公をまつる「菅公廟」があり、梅の枝を持つ菅公のご神体が安置されている。庭園は、毎年5月25日の天神祭の日に合わせて一般公開される。
    菅家庭園(山形県鶴岡市)
  • 戦後昭和27年(1952年)に重要文化財指定。

    刀 銘 (折返)備州長船住元重 菅実苞

  • 「見返り元重」はのち旧藩主家の酒井家に戻っている。
    菅実秀は明治36年(1903年)に74歳で死んでいる。この時に旧主家に返還されたのかもしれない。ただし昭和8年(1933年)10月31日に菅國太郎氏所持の「太刀 銘 備州長船住元重」が重要美術品に指定されている。また同時期に酒井忠純氏所蔵刀、酒井忠良氏(伯爵、財団法人致道博物館の創設者)所蔵刀で重要美術品認定されている元重はない。これが見返り元重の可能性がある。
  • 昭和43年(1968年)は酒井忠明氏蔵


    折返銘 備前国長船住元重
    金象嵌 見返昔某氏斬人其人顧後而為ニ依名之
    金象嵌 元禄ニ巳夏熊本侯所贈於
    養世公今茲明治元辰秋授  忠篤
             臣菅実秀
      長 二尺三寸一分

 盗難

  • 昭和61年(1986年)8月に、酒井家土蔵からこの「見返り元重」のほか重要文化財「備前兼長」、重要文化財粟田口吉光」など16点が盗難にあった。当時は17代当主酒井忠明氏所蔵。
  • 盗難を行った二人組の犯人は、のち平成元年(1989年)に埼玉県警本庄署で逮捕されており、1都22県で総額22億円(当時)相当の盗難を行っていたことが判明した。
  • このとき粟田口吉光は戻ったが、「見返り元重」はすでに売却処分されており戻らず、行方不明のままであった。
    この藤四郎は「短刀 銘吉光信濃藤四郎)」、現在致道博物館所蔵。

 所在判明

  • その後2015年1月21日になって、盗難後30年ぶりに元重の所在が判明した。
  • 現当主(18代)である致道(ちどう)博物館長の酒井忠久氏に連絡があったが、転売が繰り返されたと見え、民法上の無償返還の請求期間(盗難・遺失から2年)が過ぎていることなどからその所有者は善意の第三者であり、元重の正当な所有者となってしまう。
  • 1億円の値がついたため酒井家では買戻しを断念。酒井家の承諾を得た上で大阪府内のコレクターが買い取りを行い、文化庁が確認・登録を行った。
  • 買い取りの時点でコレクターは里帰り展示を申し出ており、展示許可を得るために7月に文化庁に申請、調査などの手続きを経て、9月から約半年間致道博物館で里帰り展示されることとなった。
    致道(ちどう)博物館の名は、旧庄内藩の藩校「致道館(ちどうかん)」によるもので、元は論語の一節「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」に由来する。

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