生駒長義
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生駒長義(いこまちょうぎ)
太刀
大磨上無銘
金象嵌 生駒讃岐守
二尺二寸七分
- 表裏に棒樋をかき通す。
- なかご差表に「生駒讃岐守」の金象嵌。
- 備前長船長義の作。
由来
- 生駒讃岐守一正所持にちなむ。
- 織田氏の家臣生駒親正の長男として生まれる。信長死後、父とともに豊臣秀吉に仕える。父は中村一氏や堀尾吉晴と共に三中老に任じられている。天正19年(1591年)従五位下讃岐守に叙任される。妻は堀秀重の娘で、「名人久太郎」の妹にあたる。
- 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、父親正の代わりに会津出兵に参加し、そのまま東軍に与して関ヶ原本戦で武功を挙げた。国許の父、生駒親正は西軍に加わり丹後国田辺城攻めに家臣を参加させていたが、息子一正の功により罪を問われず1万5千石の加増となった。
来歴
- 讃岐国高松藩主となった生駒家に伝来した。
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