瀬登太刀
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瀬登太刀(せのぼりのたち)
- 「背昇太刀」
由来
- 日光のある法師が、二荒山神社からこの太刀を担ぎ出し、今度の戦に勝つかどうかを占ったという。占いは、太刀を川に投げて流されたら戦は負け、流されなかったら勝ち、というものであった。
- 法師は読経した後、神仏に念じながら大谷川に太刀を投げこんだという。すると、太刀は見事立ち上がり、川瀬に逆らって登ってきたという。法師等は大いに喜び、勇気百倍して戦陣に打って出たところ戦は大勝利であった。それからその太刀を「瀬登太刀」と号したという。
三口の大太刀
土佐の瀬登太刀
- 土佐の国二宮であった小村神社にも「瀬登りの太刀の古記」が伝わっている。
- こちらは曾我兄弟にまつわるもので、それによれば箱根の別当が所持していた刀を源頼朝が欲しがったため別当が刀を持って逃げているとき、宿の主人がそれを盗もうとしたが刀は自ら川に入り、蛇になって川を溯ったという。
熊野若王子神社の瀬登り剣
短刀
伝天国
号 瀬登剣
熊野若王子神社所蔵
- 京都、熊野若王子神社にも「瀬登り」と称する剣が古くより伝来する。
若王子 十一月十四日
一、瀬登り劔一振 天国作ト云傳
(寺社宝物展開目録)
- 熊野若王子神社は、永暦元年(1160年)に後白河法皇が熊野権を勧請して建立した若王子の鎮守社。新熊野神社、熊野神社とともに京都三熊野と称される。
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