御池正宗
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御池正宗(おいけまさむね)
脇差
一尺二寸五厘
- 相州正宗の作
由来
- 京都の御池通で入手したために名づけられたという。
来歴
- 本多平八郎忠勝の嫡男、本多忠政は数々の武功をたて元和3年(1617年)7月14日に姫路城主となって15万石を領した。
- この正宗は、忠政が京都御池で入手したという。
- 忠勝系本多家宗家5代目の本多政長は延宝7年(1679年)夏に死ぬ。名門本多家を断絶させる訳にはいかないため、遠縁である本多忠国が後を継いだ。
廿六日大和國郡山城主本多中務大輔政長遺領十二万石を。養子平八郎忠國に襲しめ。かつ支族出雲守政利が領地六万石のうち三万石は。もと政長の封地たるをもて忠國に給はり。合して十五万石になされ。出羽國福島にうつさる。
本多忠国は、陸奥守山藩主松平頼元の次男に生まれた。母は小笠原忠真の娘嘉禰。父の父は水戸徳川藩主徳川頼房。母方の祖母が忠政の娘亀姫であり、その甥が本多政長になる。本多忠政 池田綱政の娘 ├──┬忠刻(早世) ├──本多忠孝 ┌熊姫 ├政朝──政長━━忠国 松平信康 │ │ ├────┤ │ 徳川頼房┬松平頼重[讃岐高松藩初代] 徳姫(信長娘)│ │ ├徳川光圀[水戸2代] │ │ └松平頼元 └登久姫 └亀姫 ├──┬松平頼貞[陸奥守山藩水戸松平家] │ ├────嘉禰 └忠国(本多政長養子) ├───小笠原忠真 小笠原秀政
- この「御池正宗」は、延宝7年(1679年)7月12日に本多忠国が養父である本多政長の遺物として献上したものである。
本多平八郎忠國。松平日向守信之。本多出雲守政利益封を謝し。平八郎忠國より。亡父中務大輔政長遣物正宗脇差を獻じ。加々爪甲斐守直澄致仕の得物青江恒次の刀并に香合(柚子)をささぐ。
- 百五十枚の折紙がつく。
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