尼子十勇士
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尼子十勇士(あまごじゅうゆうし)
中国尼子氏の遺臣で、尼子勝久を擁立し尼子家再興に活躍した十人の勇士
概要
- 山中鹿之介
- 秋宅庵之介
- 横道兵庫之介
- 早川鮎之介
- 尤道理之介
- 寺本生死之介
- 植田早稲之介
- 深田泥之介
- 藪中荊之介
- 小倉鼠之介
経緯
- 尼子十勇士は、明治時代に立川文庫から発刊された『武士道精華 山中鹿之助』によって有名になった。
- しかし立川文庫の創作ではなく、それ以前から知られていたことがわかっている。
- 延宝5年(1677年)に発行された「後太平記」ですでにその名が見え、月早苗介(助)、寺元生死助、横道兵庫介、山中鹿之助幸盛が十勇士であるとされる。
- その後、様々な文書において、十勇、十勇士と紹介される。
十勇と選出されたる
晴久朝臣選出されたる十勇の兵
尼子十勇士の内に横道兵庫介と言ふ者あり
- 享保2年(1717年)に刊行された「和漢音釈 書言字考節用集」において、十勇士すべての名が勢揃いし、この時代には一般的になっていたことがわかる。
- その後文化8年(1811年)~文政4年(1821年)にかけて刊行された「絵本更科草紙」により十勇士の人物像について書かれだし、明治末~大正にかけて発行された立川文庫によりそれが定着した。
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