安宅貞宗
安宅貞宗(あたぎさだむね)
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由来
- 「水に降る雪」とも呼ばれる。
- 岩成主税というものが、この刀にて安宅冬康を討ったために名付けられたという。
ただし、諸説あるが安宅冬康は三好長慶の居城飯盛山城に呼び出されて自害させられたというのが通説であり、岩成友通が殺害したという記録は見当たらない。
- また本阿弥光柴押形によれば、三好山城守入道笑岩が安宅甚八郎一倍を斬ったためという。
来歴
岩成氏
- 岩成主税左通(岩成友通)は、三好三人衆のひとり。松永弾正らと足利義輝を攻め滅ぼしている。
秀吉
- その後、秀吉の手に渡る。
- この後来歴が混乱しており、一説には、一度前田利家に与えられ再度秀吉に献上された後に、小早川秀秋に下賜されたとされる。
- それによれば利家邸に御成の際に、「三池小伝太、切刃貞宗、水に降雪等の刀を授け」という。慶長2年(1597年)秋という。
是より先き太閤屢々利家が邸に臨み、眷属最も厚し、末野の茶壺、富士茄子の茶入、並に三池小傳太、切刄貞宗、水に降雪等の刀を授けらる。
(寛政重脩諸家譜)慶長二年九月伏見之邸秀吉公御成之時御拜領。
御刀三池小傳太、水に降雪 御脇指切刄正宗
付札切刄貞宗水に降雪共安宅共 高徳院様秀吉公より御拝領。
(中川典克記録) - その後慶長3年(1598年)6月2日に秀吉に献上され、そこから小早川家に移ったという。これが確かならば同日に秀秋に下賜されたことになる。
小早川秀秋
- 小早川秀秋に伝わる。慶長3年(1598年)の朝鮮より帰国後のことと思われる。
程なく六月二日に徳川殿秀秋と打連れ参らせ給へば、太閤御對面ありて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜ひ安宅貞宗の刀、吉光の脇差、大般若捨子等の茶壺二連黄金千枚等なり、徳川殿にも引出物ひかる、光忠の刀、黄金三百枚秀秋この日長崎伊豆守を徳川殿へ使として、此度の御芳恩いづれの時にか忘れ候べき、報ひ参らすべき時こそ侍るべけれどと申されたり
(藩翰譜)
- 秀秋は慶長5年(1600年)の関ヶ原の後に本刀に象嵌を入れている。
将軍家
写し
刀
表銘 越前国康継 二ツ胴落 末世劔是也 なんはんくろか袮
裏銘 あたきさたむ袮のうつし 本多飛騨守所持内
福井県有形文化財指定
福井県歴史博物館所蔵
- 昭和35年(1960年)の「康継大鑑」では東京某氏所蔵。ただし同書では、この初代作のあたきうつしを全く違うものであるとし、切刃貞宗を混同誤認して写したのではないかとする。
二代刀 越前国康継 二ノ胴落 末世劔是也 なんはんくろか袮
本多飛騨守所持内 あたきさたむ袮のうつし
刀
表銘 (葵紋)以南蠻鐵越前康繼
裏銘 (金象嵌)あたき写大袈裟落
刃長 二尺三寸、反り五分
元幅 九分六厘、茎長六寸三分
- 昭和46年(1971年)の日本刀剣保存会本部第190回例会で出展されている。
- 刀
- 銘 葵紋以南蠻鐵越前康繼/金象嵌 あたき写大袈裟落。刃長二尺三寸五厘。反り五分。表に棒樋と添え樋、梵字、素剣。裏に二筋樋、梵字、蓮台、鍬形、素剣の彫物。
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