安宅貞宗


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 安宅貞宗(あたぎさだむね)


磨上
象嵌 安たき貞宗末代劔也 羽柴岡山中納言秀詮所持也
名物 安宅貞宗
2尺1寸5分

  • 「水に降る雪」とも。
  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    安宅貞宗 磨上長二尺一寸五分 無代 御物

Table of Contents

 由来

  • 「水に降る雪」とも呼ばれる。
  • 岩成主税というものが、この刀にて安宅冬康を討ったために名付けられたという。
    ただし、諸説あるが安宅冬康は三好長慶の居城飯盛山城に呼び出されて自害させられたというのが通説であり、岩成友通が殺害したという記録は見当たらない。
  • また本阿弥光柴押形によれば、三好山城守入道笑岩が安宅甚八郎一倍を斬ったためという。

 来歴

 岩成氏

  • 岩成主税左通(岩成友通)は、三好三人衆のひとり。松永弾正らと足利義輝を攻め滅ぼしている。

 秀吉

  • その後、秀吉の手に渡る。
  • この後来歴が混乱しており、一説には、一度前田利家に与えられ再度秀吉に献上された後に、小早川秀秋に下賜されたとされる。
  • それによれば利家邸に御成の際に、「三池小伝太、切刃貞宗水に降雪等の刀を授け」という。
  • その後慶長3年(1598年)6月2日に秀吉に献上され、そこから小早川家に移ったという。これが確かならば同日に秀秋に下賜されたことになる。

 小早川秀秋

  • 小早川秀秋に伝わる。慶長3年(1598年)の朝鮮より帰国後のことと思われる。

    程なく六月二日に徳川殿秀秋と打連れ参らせ給へば、太閤御對面あつて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜ひ安宅貞宗の刀、吉光の脇差、大般若捨子等の茶壺二連黄金千枚等なり、徳川殿にも引出物ひかる、光忠の刀、黄金三百枚秀秋この日長崎伊豆守を徳川殿へ使として、此度の御芳恩いづれの時にか忘れ候べき、報ひ参らすべき時こそ侍るべけれどと申されたり
    (藩翰譜)

  • 秀秋は慶長5年(1600年)の関ヶ原の後に本刀に象嵌を入れている。
    象嵌の「安たち貞宗末代剣也 羽柴岡山中納言秀詮所持」の秀詮とは、小早川秀秋(金吾中納言)のこと。関ヶ原の戦い後に「秀詮」と改名し、岡山中納言と呼ばれるようになる。その時期に象嵌を入れたものと見られる。

 将軍家

  • のち徳川将軍家に献上される。
  • いつ焼けたのか不明だが、写しが2代康継により作られている。2代康継は正保3年(1646年)の没であり、それまでは現存していた可能性がある。

 写し


表銘 越前国康継 二ツ胴落 末世劔是也 なんはんくろか袮
裏銘 あたきさたむ袮のうつし 本多飛騨守所持内
福井県有形文化財指定
福井県歴史博物館所蔵

  • 初代康継による写し。
  • 裏に「あたきさたむねのうつし」と銘があるように、康継名物安宅貞宗の写しとして作刀したもの。
  • 表棒樋に添樋を掻流し。裏は二筋樋、梵字、素剣を彫る。


表銘 (葵紋)以南蠻鐵越前康繼
裏銘 (金象嵌)あたき写大袈裟落
刃長 二尺三寸、反り五分
元幅 九分六厘、茎長六寸三分

  • 二代康継による写し。
  • 棒樋に添樋。下に梵字、素剣を彫り、剣は頭先のみが鎺上に出ている。裏は二筋樋、梵字、素剣を彫る。
  • 坂本一至氏旧蔵。

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