国司
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国司(こくし)
- 国司は、古代から中世の日本で地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏。
- 四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す。
- 守の唐名は刺史、太守など。
- こくし、くにのつかさ
国名 | 官 | 位 | |
大国 13ヶ国 | 大和 / 河内 / 伊勢 / 武蔵 / 上総* / 下総 / 常陸* / 近江 / 上野* / 陸奥 / 越前 / 播磨 / 肥後 | 守 | 従五位上 |
介 | 正六位下 | ||
大掾 | 正七位下 | ||
少掾 | 従七位上 | ||
大目 | 従八位上 | ||
少目 史生 | 従八位下 | ||
上国 35ヶ国 | 山城 / 摂津 / 尾張 / 三河 / 遠江 / 駿河 / 甲斐 / 相模 / 美濃 / 信濃 / 下野 / 出羽 / 加賀 / 越中 / 越後 / 丹波 / 但馬 / 因幡 / 伯耆 / 出雲 / 美作 / 備前 / 備中 / 備後 / 安芸 / 周防 / 紀伊 / 阿波 / 讃岐 / 伊予 / 筑前 / 筑後 / 肥前 / 豊前 / 豊後 | 守 | 従五位下 |
介 | 従六位上 | ||
掾 | 従七位上 | ||
目 史生 | 従八位下 | ||
中国 11ヶ国 | 安房 / 若狭 / 能登 / 佐渡 / 丹後 / 石見 / 長門 / 土佐 / 日向 / 大隅 / 薩摩 | 守 | 正六位下 |
掾 | 正八位上 | ||
目 史生 | 大初位下 | ||
下国 9ヶ国 | 和泉 / 伊賀 / 志摩 / 伊豆 / 飛騨 / 隠岐 / 淡路 / 壱岐 / 対馬 | 守 | 従六位下 |
掾 | 従八位下 | ||
目 史生 | 少初位上 |
- ※上総・常陸・上野は親王任国であり、実務上最高位は介
親王任国(しんのうにんごく)
- 常陸国、上総国、上野国の3国を指し、親王が国守に任じられた国及びその制度を指す。
- 親王任国の守である親王は太守という。親王太守の官位は、必然的に他の国守より高く、通常は従五位上から従六位下であるのに対して親王任国の太守は正四位下とされた。
- 天長3年9月6日(826年10月10日)、清原夏野の奏上に基づき制定された。当初は淳和天皇の治世だけに限定して始められたが、結局この制度はその後も存続し、平安時代を通じて定着することとなった。以降、これら3国の国司筆頭官である国守には必ず親王が補任されるようになった。
- 親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、親王任国での実務上の最高位は次官の国介(すけ)であった。平安中期になり受領国司が登場した際も、親王任国については介が受領の地位に就き、他国の国守と同列に扱われた。
- 時代が下り、後醍醐天皇の建武の新政期には、一時期陸奥国も親王任国とされ、義良親王が陸奥太守として実際に陸奥国へ赴任した。
- 名目としての親王任国はその後も継続した。戦国時代の織田信長が「上総介」を僭称し、江戸時代に入っても将軍徳川家康子息の松平忠輝は「上総介」に任官され、また本多正純、吉良義央、小栗忠順が「上野介」に任官されたのも、名目のみとは言え「上総守」「上野守」の官職が親王にしか許されなかった慣例を守っていたからである。
大宰帥(だざいのそち)
- なお大宰府の長官である「大宰帥」についても、大同元年(806年)の伊予親王(桓武天皇皇子)を初例として、慣習により親王が任命された。
- こうした親王帥を「帥宮(そちのみや)」と呼ぶ。補任の目的は皇室財政の緊縮にあったため、当然親王帥は在京のままで府務を行わず、実際の長官には臣下から次官の大宰権帥・大弐(任官者が納言クラスなら権帥、参議や散三位クラスなら大弐)を派遣するものとされた。
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