友斬り
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友斬り(ともぎり)
源頼光が唐から武悪大夫という名工を呼び寄せ、三月も掛けて造らせた二尺八寸の太刀
曽我兄弟が仇討ちの際に使ったことで名高い
友切丸
- 「曽我物語」に登場する源氏宝剣譚。
由来
- 源頼光の時代に、ある時にわかに風雨となり枕元に立て掛けておいた太刀が、風が吹く度にゆらゆらと揺れだし、刃先が傍らに積んであった草紙に触れて切れたという。数えてみると草紙三帖の紙七十枚も切れており、頼光はその切れ味に惚れ込み『てうか(朝霞)』と名付けて秘蔵した。
- 源頼光は『てうか(朝霞)』を弟の頼信に譲ったのだが、夏の暑い日に頼信が縁側で手入れをしながら眺めていると、小さな羽虫が刀の周りをブンブンと飛び交い、羽根が刃に触れる度に切られて落ちてきたという。その切れ味の凄さに驚いた頼信は『蟲喰み』と名づけたが、その後嫡子頼義に譲った。
- その頃、御所では妖怪変化が跋扈して奇怪な事が頻繁に起っていた。ある日激しい震動が起った時に『蟲喰み』の太刀がひとりでに鞘から抜け出し、地中深く潜って行った。すると震動がパタと止まったので源頼義が不思議に思い地中を探らせたところ、九尋もある大蛇が『虫喰み』の太刀で四つに切断されていたという。それからこの太刀の呼び名を『毒蛇』とした。
- その後嫡子の八幡太郎源義家に相伝され、その頃、宇治に橋姫と云う妖怪が出て人や馬を水中に引きずり込んでいたという。ある日、義家が宇治橋を愛馬で渡っていると十七~八の美女が波の間から忽然と浮かび上り、馬もろとも義家を河中に引きずり込もうとした。その時も腰の太刀がひとりでに抜け出て橋姫の左腕をバッサリと斬り落としたという。すると橋姫は鋭い悲鳴を残して流れに飛び込み姿を消し、以来その姿は見られ無くなったと云う。それを記念して『姫斬り』と呼ばれる様になったという。
- その後、源為義の時代に、自分より長い刀と並べて置くと、両刀が焼餅を焼いて喧嘩を始め、それが五晩も六晩も続き、長い方の刀を五寸ばかり切り落してしまったという。それより以降『友斬り』と呼ばれることとなる。
- 曽我兄弟による仇討ちは歌舞伎「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」や「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」などで登場する。
来歴
- 源為義の子、源義朝は鞍馬の毘沙門天に『友斬り』を奉納してしまったのだが、その後牛若丸と名乗った源義経が鞍馬山を出る際に、『友斬り』を持ち出したというが、平家打倒の軍を率いて西国に向う折に箱根権現に戦勝祈願のため参拝をして『友斬り』の太刀を奉納したという。
- その後曽我兄弟が箱根権現(神社)別当の行実に暇乞いに伺った際に、弟に贈られた「兵庫鎖の太刀」という。
- 頼光『朝霞』→頼信『虫喰み』→頼義『毒蛇』→八幡太郎義家『姫斬り』→為義『友斬り』→義朝鞍馬寺奉納→義経→箱根権現→曽我兄弟
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