入道拗切
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入道拗切(にゅうどうねじぎり)
刀
左文字
- 筑前左文字の刀。
由来
- もとは筑前福岡藩主黒田家で所持していた刀。
- 黒田家にて、入道したものを「ねじ斬り」したためと思われる。
来歴
- ある時、黒田長政がこの刀を若狭小浜藩主の酒井忠勝(雅楽頭酒井家)の許を訪れ、「この刀は当家で秘蔵する入道拗切でござるが、進上いたす」といって贈った。
- 酒井忠勝はもらったままにしていたのだが、孫の忠隆が、刀の格好良しということで差料にするために試し切りしようとした。
- すると刀役人が、この御刀は左文字と申し、「べん切り」という異名もありますれば試し切りは不要でございましょうといったという。
- しかし忠隆は、いくら黒田家で斬れたからといっても我家にて試さぬ限りは差料にするわけにもいかぬと試し切りを行わせたところ、見事一の胴を落とし土壇まで払ったという。
- なおここに登場する孫の酒井忠隆は、天和元年(1681年)に奏者番となる。翌年の父の死去により、若狭小浜藩主家の家督を継ぐが、その後、貞享3年(1686年)閏3月21日に小浜にて享年36で死去した。つまり、この試し切りの逸話は1682年~1686年の間ということになる。
- 明治まで同家に伝来したという。
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