まづくれ丸
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まづくれ丸(まづくれまる)
刀
左文字
- 左安吉の作
- 「まっくれまる」
由来
曽呂利新左衛門 は座話の達人で秀吉に可愛がられた。
- ある時茶室の座興で、秀吉が「そちの頓智でわしを茶室の前の庭に降ろしてみよ。見事降ろすことができればそちの望みのものをやろう。」といったという。
- 曽呂利は少し考えた後、「殿下を庭に降ろすことは難しゅうございますが、上げることなら容易うございます」といった。
- 「されば上げてみよ」と秀吉が気軽に庭に降りたところが秀吉の負けであった。曽呂利が「されば殿は庭に降りられましたので、お約束通り褒美を頂戴しとうございます」といって笑ったという。
- この時与えた刀が茶室に備えていた左文字であり、曽呂利が礼を述べるとともに「御刀の由緒を伺いとうございます」というと、秀吉は「まづくれ丸だ」とだけいう。
- 曽呂利がさらに理由を問うてみると、お前が座興で勝ってとりあえず褒美をくれというからくれてやったものだ。だから「まづくれ丸だ」と、戯れにその場で名付けたという。
曽呂利新左衛門(そろり しんざえもん)
- 豊臣秀吉に御伽衆として仕えた人物。
楚に優孟を称し漢に方朔天地間生ず一種の人この子詼諧二客に同じ豊宰に近親して竜鱗を弄す
(全堺詳志)
- 和泉国鳳郡の生まれで、杉本甚右衛門(彦右衛門)という。
あるいは中川得斉、あるいは長浜姓で子孫は幕府お抱えの絵師長浜宗二とも。
- 元々は堺で「刀の鞘」を作っていた商人で、曽呂利に任せるとどの刀もぴったりとはまり、抜くときにもそろりと抜けるので、それをそちの名前にせよといわれ、以後「曽呂利」を名乗る。
曾呂利と稱するのは、製作巧妙、鞘口ソロリと能く合ふを以て、名を得たといはれてゐる。
栗鼠は栗の殻を割らずに中身だけを上手に食べる。これと同様、新左衛門は鞘の中を巧みにえぐったためともいう。鼠楼栗。
- 慶長8年(1603年)没。
頓智
米粒
- ある時秀吉が曽呂利に、「そちに褒美を取らせる。望みのものをいってみよ」というと、曽呂利は「米粒を一粒いただきとうございます」という。ただし1日目は一粒だが、2日目は倍の二粒、3日目にはさらに2倍して四粒と毎日倍にしていくという話であった。
- 秀吉は「なんだそんなもので良いのか」と容易に頷いてしまったが、途中で途方もない量になると気づき、曽呂利に謝った上で別のものに替えさせたという。
この計算で行くと30日目には5300万粒を越し、累計では米俵450俵、石高にして180石になる。なおこの話には大広間の畳の数に乗じたもの、近江三井寺の階段の段数に乗じたものなどの派生がある。いずれも等比数列の和が膨大な数になることを示す逸話であり、曽呂利が頓智だけの才ではなかったことがわかる。
おなら
- ある時秀吉の御前でおならをしてしまい、手に持っていた笏で頭を叩かれた。その時にとっさに読んだのが、次の歌である。
おならして 国二ヶ国を 得たりけり 頭はりまに 尻はびっちう
松
- ある時秀吉が愛玩していた松の木が枯れてしまい、激怒したことがあった。
- そこに曽呂利が現れ、「このたびは誠におめでとうございます。」と申し上げたので、秀吉が怪しんで理由を問うと、次の狂歌を詠んだという。
御秘蔵の 常世の松は 枯れにけり 千代の齢を 君に譲りて
- これを聞いた秀吉は怒るのをやめたという。
臨終
- 曽呂利新左衛門の臨終が近づいた時、秀吉から何か望みのものはないかとしつこく問うてきた。望みはないと答えるが何度も来たため、ついに次のような狂歌を返してよこしたという。
ご威光で 三千世界が 手に入らば 極楽浄土は 我に賜れ
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