藤林長門守

藤林長門守(ふじばやしながとのかみ)  

伊賀の三大上忍の一人

概要  

  • 本名は正保、保豊など曖昧。
  • 藤林長門守は伊賀の上忍三家の一つ藤林氏の当主であり、伊賀北部で甲賀に境を接する湯舟郷を支配していた。
  • なお甲賀側にも多くの配下がおり、伊賀甲賀双方に影響力を持っていたとされる。
  • 伊賀の中忍楯岡ノ道順音羽ノ城戸は藤林長門守の配下であったという。さらに下忍では下柘植の木猿・小猿が配下ともいう。
  • 伊賀流の頭目という立場でありながら記録はほとんど残っておらず、その生涯は謎に包まれている。
  • 天正9年(1581年)第二次天正伊賀の乱では、甲賀の多羅尾氏ともに織田氏の手引きをして生き残ったという説もあれば、織田の軍勢と最後まで戦い抜いた百地丹波と同一人物とする説もある。

山本勘助  

  • 「藤林家由緒書」には、今川義元に雇われていた際、武田信玄の軍師山本勘助に忍術を教えたという記録が残っている。

万川集海  

  • 長門守の子孫、藤林佐武次保武が今に忍者の姿を伝える貴重な資料とされる「万川集海」を著している。