太郎坊兼光

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太郎坊兼光(たろうぼうかねみつ)  


兼光
二尺三寸

由来  

  • 「太郎坊」と名づけたのは秀吉で、恐らく愛宕山に祀られている「愛宕太郎坊天狗」から名づけたと思われる。

来歴  

  • 織田信長が所持し、明智光秀へ下賜した。
  • 光秀が愛宕山に奉納したのを、秀吉が他の刀を納めた代わりにこれを取出し、「太郎坊」と名づけている。
  • 秀吉没後、形見分けで越前福井城主であった越府侍従青木一矩が拝領した。
  • 関ヶ原では青木一矩は西軍に属し、本刀も召し上げられる。家康から加藤嘉明が拝領している。
  • さらに後、加藤嘉明から丹羽長重に渡るときの逸話が残されている。
  • 会津の蒲生氏郷の孫忠郷が嗣子なく伊予松山へ24万石に減封された後には、加藤嘉明が会津40万石、丹羽長重が白河10万7千石をそれぞれ領し入部した。二人はかねてから仲がよく、丹羽長重は嘉明の会津若松まで遊びに訪れたという。
  • 酒宴を催して酒が進んだ折に、酔っ払った嘉明が「こたびの来訪誠にありがたい。せめてもの御礼に秘蔵の道具を進上すべし」といってこの太郎坊兼光を持ってこさせ、「これは関が原の戦い折、家康公より拝領した名刀である」として手ずから贈ってしまった。
  • 長重は厚く礼を述べ、何を思ったかその日すぐに会津若松を立って白河へ戻ってしまったという。
  • 翌日になって酔いが覚めた加藤嘉明が、近習に「昨日酒の興に乗じて太郎坊を丹羽に贈ったように覚えているが、まことか?」と尋ねると「御意の通り進上せられました」と答える。嘉明はすっかり醒めてしまい、「俺は泥酔して前後不覚の上でのことならば、例え太郎坊を差し出せといったところで、別の刀を差し出すべきだろう。秘蔵第一の道具を渡してしまったのは是非なき次第である。急ぎ取り返すべし」と、白河へと早馬を立てさせ、返却方を申入れさせた。
  • しかし長重は「重宝の賜りものなれど返すことはできない」といって取り合わなかったという。
  • のち丹羽家伝来。
  • 昭和5年、東京美術倶楽部の売立で、781円で落札。
  • その後行方不明。




太郎坊兼光  

川越城松平家伝来

  • 武蔵川越藩の松平家伝来の太郎坊兼光。
  • 明治維新後も同家に伝来したが、由来は不明。