会津兼定(刀工)

会津兼定(あいづかねさだ)  

会津の刀工集団
兼定の後継

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概要  

  • 美濃伝関七流の関兼定の後継にあたる刀工集団。
  • 4代にあたる兼定が芦名家に招かれ、以降会津の地に移り「会津兼定」となる。その後領主は蒲生家、上杉家、保科正之(保科家)と移るが引き続きお抱えとなる。
  • 新撰組副長土方歳三が使ったとされるものは会津兼定の十一代目といわれている。※日野の土方記念館に十二代目の会津兼定が現存している。
  • 作風は関伝を基調とするが、時に柾目肌の美しいものがある。切れ味は初代がもっとも良く「良業物」、二代はそれにつぎ「業物」となっている。

系譜  

会津初代  

  • 古川兼定
  • 初代は関住和泉守兼定の子と伝えられる。
  • 通称清右衛門。
  • 弘治2年(1556年)会津に下る。蘆名家刀匠として知行二百石を受ける。
  • 藩主が上杉家に替わっても、依然二百石を受けている。

会津二代  

  • 2代孫四郎兼定、3代孫一郎兼定は、蒲生秀行より二十人扶持と米二十五石
  • 寛永4年には「綱房」と改名を仰せつかっている
  • 加藤家に替わると、十人扶持米十五石に減ぜられる
  • 寛永14年没

会津四代  

  • 4代孫左衛門兼定は寛永20年に保科正之が入部するとさらに五人扶持に減らされている。
  • 慶安4年(1651年)3月近江大掾を受領。
  • 寛文6年没

会津五代  

  • 5代入道兼定は、寛文8年(1668年)5月に近江大掾を受領
  • 元禄11年(1698年)二人縁を増俸。
  • 宝永5年(1708年)剃髪して入道。
  • 正徳3年(1713年)没

会津六代  

  • 6代数右衛門兼定は、享保20年(1737年)閏正月没

会津7代  

  • 7代近江兼定は宝暦7年(1757年)正月没

会津8代  

  • 8代治太夫兼定は、櫻井道直の男。古川家の養子となる。
  • 天明6年(1786年)10月没。67歳

会津9代  

  • 9代近江兼定は初め伝内と呼ばれた。父の死により六人扶持に減らされている。
  • 文化5年(1808年)2月帯刀御免となる。同12年(1815年)8月または1月に没。76歳

会津10代  

  • 10代与惣右衛門兼定は文化元年(1833年)兼氏と改名。
  • 天保4年(1833年)1月18日没。75歳

会津11代  

  • 11代業蔵兼定は、のち近江兼氏と改名。
  • 明治2年(1871年)9月17日没。78歳
銘「奥州住兼定/天保十一年子二月日」長66.8cm。

会津12代  

  • 12代友弥兼元は天保8年(1837年)誕生、文久3年(1863年)5月清右衛門と改名。
    代数は「日本刀大百科事典」【兼定】の項による。
    会津兼定については、清右衛門を初代とするか、その子、孫四郎を初代とするかにより代数が異なる。清右衛門を"開祖"、孫四郎を"初代"とする(つまり会津兼定は11代までとする)説もあるが、ここでは大百科事典の【兼定】の項の代数表記(清右衛門を初代とし、友弥兼元を12代とする説)に従った。
    なお同事典の【会津鍛冶】の項では「明治までつづき、十一代・和泉守兼定に至った。」として、友弥が11代となる(つまり【兼定】項とは矛盾する)説を採用している。
    京都時代の土方歳三が使ったのは業蔵兼定作であると思われるが、仮に11代説を採ると「土方が使用したのは10代または11代の会津兼定」となってしまい、世上広まっている話とのズレが生じる。
  • 嘉永7年(1854年)から安政6年(1859年)まで代銘で「兼定」銘を切る。その後、安政7年か文久3年(1863年)まではそれに加えて「兼元」銘も切っている。
  • 文久3年(1863年)7月上洛。三品近江守のもとで修業
  • 同年12月4日和泉守を受領。兼定と改名。
  • 滞在中に中川宮の御用を承る。
  • 元治元年(1864年)蛤御門の戦いに参加。
  • 慶応元年(1865年)2月帰国
  • 同4年(1868年)8月会津城で籠城、弾丸製造に従事。同月15日には軍事奉行一柳翁介の取次で兼定十二代目の家督を相続し七人扶持を賜る。この時父近江兼氏は75歳。
  • 明治2年9月より7年9月まで、藩命により越後加茂町へ移住
  • 同36年1月上京し、陸軍省砲兵工廠日本刀鍛冶所にて鍛刀に従事
  • 同年3月28日急逝、67歳。
  • 墓所は会津若松市馬場本町の実相寺。「古川家累代墓」

著名作(12代)  

脇差
銘「會藩臣兼定兼元抽精神以三枚製而造之 安政四丁巳年八月吉日/同年十一月十三日大脇毛初刃至平土 同陽士長坂勝安試之」長70.2cm。
脇差
銘「 会津住兼元 壱十有六才作/安政七年申年二月十三日 江上徳隣細腰土壇払」長41.8cm。
銘「陸奥会陽臣藤原兼元 注精力造之/安政七庚申年二月吉日」長71.2cm。
銘「奥州会津住藤原兼定/安政二二年十二月十三日東都於千住両車払土段 山田源蔵試之 小川郷左衛門見届」長70.1cm。
短刀
銘「會陽臣兼元造之 文久元辛酉年八月吉日/君万歳」長30cm
銘「会津住兼元/文久二戊年八月日」長70cm。
銘「和泉守藤原朝臣兼定/慶応元年丑年八月日」長74.1cm。
銘「陸奥士 和泉守藤原朝臣兼定 同年九月廿七日於千住両車士壇拂切手山田源蔵/慶応三 為木嶋重平抽鍛錬精 同年同日於同所二ツ胴土壇拂切手木嶋勇太郎」
銘「和泉守藤原朝臣兼定/慶応三卯年二月日」長68.2cm。
脇差
銘「和泉守兼定/慶応三卯丁年二月日」長50cm。
脇差
銘「和泉守兼定/慶応三卯年八月日」長39.7cm。
銘「会藩士 和泉守藤原朝臣兼定/慶応三卯年八月日」長69.7cm。
銘「会津刀匠 和泉守兼定/慶応三卯年八月日」長40.5cm。
銘「陸奥士 和泉守藤原朝臣兼定 同年九月廿七日於千住両車士壇拂切手山田源蔵/慶応三 為木嶋重平抽鍛錬精 同年同日於同所二ツ胴土壇拂切手木嶋勇太郎」長80.3cm。
銘「和泉守藤原朝臣兼定/慶応四戊年二月日」69.7cm。
銘「和泉守藤原兼定/慶応四年戊辰閏四月為松宮君於北越観音寺邑造之」土浦市立博物館所蔵
脇差
銘「会津刀匠和泉守藤原兼定/慶応四戊辰年五月佳日為芳斎富良君於観音寺村造之」長31.8cm。
脇差
銘「大日本鍛冶宗匠 会藩士 和泉守兼定/慶応四戊辰年仲秋日」長38.2cm。
短刀
銘「和泉守兼定/慶応四年八月日」長26.5cm。
短刀
銘「和泉守兼定/明治二年八月日」長22.4cm。
銘「和泉守兼定/明治二巳年二月日」長66.5cm。
銘「若松住和泉守兼定/明治三午年二月日」長70.3cm
短刀
銘「濃州關住兼定作」刃長五寸九分半。津軽義孝伯爵所持


関連項目