鷲切り


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 鷲切り(わしきり)


備前長船兼光の作

 由来

  • 享保のころ、加賀藩前田家の馬廻頭丹羽武兵衛孝房が、加賀石川郡の湯桶(ゆわく)温泉に入湯していた。薬師堂の上の山に佩刀を置いてさらに絶壁をよじ登り、程なく戻ってみると、佩刀がなくなっていた。

    丹羽氏徒然之餘り從者共に藥師堂の上の山に逍遥せられたりし春ハ老たりと云共深山の殘雪地冷にして小草漸萌出て是を摘て小竹筒を傾て醉に乗し佩刀を解て暫絶壁の峯によち登り眺望すれハ西山鐘聲に呌ひ新樹暮雲に接して返照山の洞にさへ入て立居し所もはやくらみけれハ頓て下りて先の所に歸り置たる腰刀を尋るに見へす所々捜し求るに在所を不知從者も爰かしこより來りて打驚き是を求るに更になし

  • 驚いて宿へ帰り、入湯客も調べてみたが刀は見当たらなかった。

    いかさま湯治の者の中好奸有て盗隠せるにや一刀と云共我家の重代の者なれハ其通にも過かたしと入湯の旅人を改宿主或ハ村肝煎して穿鑿すれ共知ず

  • そこに能登石動山の僧が来ていたので刀の行方を占ってもらうと、獣の手にわたっているという。
  • その夜、夢の中で「私は悪鳥に子をさらわれましたが、御腰のものを御借りして仇を討ちましたので御礼に参りました。」という声が障子の外から聞こえてきた。驚いて障子を開けてみると大きな猿が逃げていったところで、あとには刀身と鷲の片身が置いてあったという。

    暫く寶劔を借て速かに讐を討取たり仍て謝禮に來れりと云に丹羽氏忽目覺て障子を明みれハ犬成獼猴忽逃去ぬ椽の上にハ件の刀の鞘もなくて中心斗を鷲の片身より討落たるを殘せり。

    彼刀を鷲切と名付て彌祕藏せられし、銘ハ備前の兼光也とそ


 湯桶温泉

  • この湯桶温泉(石川県金沢市湯涌町)は、養老2年(718年)に地元の紙漉き職人が発見したものであるという。それによれば、山奥で白鷲が泉に身を浸しているので近づいてみると、湯が湧いていたという。
  • 江戸時代には加賀藩の藩主一族が常用し、その効能をとくに賞賛され湯宿の主人には名字帯刀が許された。
  • 丹羽武兵衛が登っていった温泉近くの薬師堂は今も残り、その側には大正時代に恋人彦乃とともに滞在した作家竹久夢二の記念館(金沢湯涌夢二館)がある。

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