鳳凰丸


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鳳凰丸(ほうおうまる)  

太刀
号 鳳凰丸
二尺八寸

概要  

  • 北畠家伝来の太刀
  • 太平記の一本に登場する。南朝方の北畠親房は、本刀を賀名生皇居に携行したという。

    大納言殿ハ花族幽玄ノ事ナカラ聊徤ナル人ニテオハセシカハ此事キツト膽ニヤ當リケン水干ノ下ニ萌黄ノ胴丸ヲ著シ二尺八寸ノ鳳凰丸トテ當家累代ノ御太刀計召レ事惡クナラハ思召切ヘキ御用心ニテ閑々ト御車ヲ飛セラレケレハ
    (太平記 賀名生皇居條)

    賀名生行宮(あのうのあんぐう)は、大和国吉野郡賀名生(あのう)にあった南朝の行宮。正平3年/貞和4年(1348年)8月、高師直率いる室町幕府軍に吉野行宮を襲われた後村上天皇が賀名生に逃れて行宮を定めた。正平7年(1352年)の正平一統による北朝の一時崩壊を受けて、後村上天皇は同年2月京都を目指して出立するが、京都に入京することが出来ないまま5月に捕虜とした北朝の3人の上皇(光厳・光明・崇光)と廃太子(直仁親王)を連行して賀名生に戻っている。その後、正平9年/文和3年(1354年)10月に河内国の金剛寺に行宮を移している。

  • 観応の擾乱で足利尊氏が南朝に降伏して正平一統が成立すると、これに乗じて親房は一時的に京都と鎌倉の奪回にも成功した。正平9年/文和3年(1354年)4月に親房は賀名生で死去、享年62。親房の死後は南朝には指導的人物がいなくなり、南朝は衰退への道をたどっていく。
  • その後、本刀の行方は不明。

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