謙信景光
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謙信景光(けんしんかげみつ)
- 備前長船景光作の短刀で、「元亨3年」は1323年。
- 刀身には、表に「秩父大菩薩」、裏には大威徳明王を表す梵字の彫りがある。「秩父大菩薩」は秩父神社(埼玉県秩父市)の祭神・妙見菩薩を指す。
秩父神社はもと、延喜式内社「秩父神社」であったが、鎌倉時代に妙見菩薩が合祀されたこともあって「秩父大宮妙見宮」「妙見宮」と呼ばれるようになる。天正20年(1592年)に徳川家康の造営による権現造りの社殿が整備された。明治維新後の神仏分離で、妙見菩薩と習合していた天之御中主神に祭神を改め、社名も本来の「秩父神社」に戻している。
- 目釘孔2個
由来
- 上杉謙信愛用にちなむ。
来歴
秩父神社奉納
上杉家
- のち上杉家に伝来し、上杉謙信が常に身近に置いたことから「謙信景光」の号がある。
- 附指定されている小サ刀拵は、謙信の時代のものとされる。
- 「上杉家刀剣台帳」乾一二
- 謙信が姫鶴一文字の刀に添えて帯用した記録がある。
岡野多郎松
- 昭和33年(1958年)「備山愛刀図譜」では10番目に載る。
- 昭和55年(1980年)の「国宝・重要文化財総合目録」では、岡野光作氏蔵(岡野多郎松旧蔵)。
短刀
銘 備州長船景光 元亨三年三月日
附 小サ刀拵
埼玉県
- 平成5年(1993年)春、埼玉県所有となる。
- 現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館保管。
- 短刀 銘 景光 - 埼玉県立歴史と民俗の博物館
- 平成18年(2006年)に埼玉県立博物館が埼玉県立民俗文化センターと統合して現名称となった。
大河原時基
- その銘文によれば、「広峰山御剣願主武蔵国秩父郡住大河原左衛門尉丹治時基於播磨国宍粟郡三方西造進之」となっている。
- このことから、秩父(埼玉県)出身の播磨(兵庫県)の地頭であった大河原時基が、嘉暦4年(1329年)長船から景光と景政を播磨国宍粟郡三方西(兵庫県宍粟市)に呼んで作刀させ、広峯神社(兵庫県姫路市)に奉納したものであることが知られる。
- 「大河原左衛門尉丹治時基」と記しているように、本姓は丹治氏である。武蔵七党の一つで、多治比氏の後裔を称した丹党のうち大河原氏の嫡流であるとされる。
- さらに大河原時基が景光および進士三郎景政に打たせた正中二年七月日銘の太刀は御物となっている。
- 整理すると、鍛刀の順番は次のようになっている。※1と2は同時期と推定されている。
- 太刀 元亨3年(1323年)三月日:
御物
秩父大菩薩 - 短刀 元亨3年(1323年)三月日:
国宝、「謙信景光」
歴史と民俗の博物館所蔵
秩父大菩薩 - 太刀 正中2年(1325年)七月日:
御物
願主武蔵国秩父郡大河原入道沙禰蔵蓮同左衛門尉 丹治朝臣時基於播磨国宍粟郡三方西造之 - 太刀 嘉暦4年(1329年)七月日:
国宝
歴史と民俗の博物館所蔵
広峰山御剣願主武蔵国秩父郡住大河原左衛門尉丹治時基於播磨国宍粟郡三方西造進之
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