綱切貞宗
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綱切貞宗(つなきりさだむね)
刀
貞宗作
来歴
- 元は織田信長の佩刀。
- 天正6年(1578年)に安東氏の家臣南部季賢(宮内少輔)が、熊野参詣のすがら信長に謁見し、奥州の鷹を贈ったのに対して与えられた刀。
- 8月5日に信長は鷹の献上を受け、10日には南部季賢を饗応している。この時に本刀「綱切貞宗」を南部季賢に下賜したという。
- この時信長は季賢に上京の供を命じ、そのとき季賢は馬や人足、腰物などを織田家から借用し、上京後返そうとしたがそのまま下賜されたという。
- 信長は上京後に佐久間信盛の担当する天王寺砦方面を視察し、道すがら鷹狩を楽しんでいる。
- 南部季賢はその後出羽に帰国し、本刀を安東愛季に献上した。
- 安東愛季はこれを秘蔵し、天正11年(1583年)浅利義正を討ち取った蠣崎慶広に下賜した。
- 慶長15年(1610年)、蠣崎慶広は次男の松前忠広に譲っている。
- 松前忠広は分家することを許され秀忠に仕えていたが、慶長15年(1610年)には下総結城で1000石を与えられ、従五位下・隼人正に叙任された。元和3年(1617年)秀忠の上洛に従ったが病に倒れ、伊勢桑名で没した。享年38。
- その嗣子直広は勘気を蒙り知行召し上げとなった。その時にこの貞宗を献上し、代わりに金七十枚を与えられている。
- その後の行方は不明。
関連項目
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