立花圓龍子国秀(刀工)
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立花圓龍子国秀(たちばなえんりゅうしくにひで)
生涯
- 中山一貫斎義弘に師事し、のち圓龍子と号す。
- 天保(1830-1844)ごろ、上野国安中藩板倉家の抱え鍛冶となる。
- のち天保14年頃には鎌倉に移り、嘉永~文久にかけて作刀する。
- 銘「上州安中住円竜子立花国秀」「橘円龍子国秀造」、「相州鎌倉住国秀作」「相州鎌倉住橘国秀作」、晩年に「立花隼人国秀作」
著名作
- 刀
- 銘「相州鎌倉住国秀/嘉永七歳八月日」長2尺6寸6分。坂本龍馬の佩刀。弘瀬健太と交換したもの。
- 刀
- 銘「立花隼人国秀作/文久四甲子歳二月日」長2尺3寸8分。
- 刀
- 銘「立花圓龍子国秀 天保十己亥八月七枚鍛/越後福島応関根道長需於宅鍛之 冑鹿角手鞠真綿髪毛道直自試之」
系譜
立花円竜氏義秀
- 師である中山一貫斎義弘の孫で、勝村徳勝門下の長島義勝の子。
- 祖父の弟子である立花圓龍子国秀の門人となる。
- 刀
- 銘「江府住人立花円龍子藤原義秀(武蔵) 元治二乙丑歳二月日」長71.3cm。保存刀剣。
- 刀
- 銘「於陸奥白川立花圓竜子義秀作/慶應二丙寅年八月日」
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