目眠り刀
※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。
目眠り刀(めねむりとう)
- 大和保昌貞吉の極め。
- 上州大胡城主牧野讃岐守康成の蔵刀。
由来
- 家康がまだ三河にいた頃、売り物に来た刀を家康に見せた所、「これはよく切れるから買っておけ」といわれたので買っておいた。
- ある時試し切りが行われた際に「あの刀も試してみよ」というので試すと、土壇まで切れ通ったという。
- この試し切りの際に、牧野康成がどうかよく切れてくれと念じて目をつむっていたため、目眠りと名付けよといったという。
牧野家
- この牧野康成の正室は、酒井忠次の娘、於虎(鳳樹院)である。於虎は当時評判の美人で、康成が妻に貰い受けにいったところ即座に拒絶されたという。
- その理由が、「右馬允(康成)は大胆者だが、悪い目が出れば謀反を致し、三河一国も手に入れるかも知れぬ男。そのような者に大事な娘を遣わすことはまかりならぬ」というものであったという。
- しかしその話を聞きつけた家康が、そのような器量ものであれば、そなたの娘を嫁にやって家来にせよと諭したために結婚を許したという。
- 牧野康成の嫡男忠成は加増され、のち越後長岡藩7万4千石を領した。牧野家は帝鑑間詰めの譜代大名として幕末まで続いたが、「目眠り刀」の所在は不明である。
AmazonPrime Video30日間無料トライアル